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「本物」であることは重要なのだろうか? - フィリップ・K・ディック(浅倉 久志訳)『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』雑感 -

2021年09月06日

書評
フィリップKディック
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 今回紹介したいのは映画『ブレードランナー』の原作にもなったディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(以下、本書と表記し、引用の際には Kindle 版の位置 No.を記す)である。本書のあらすじは次のとおりだ。おそらく核戦争後とおもわれる世界で主人公のリックはおもに植民惑星において人間の雑用をこなすために作られた機械人形、つまりはアンドロイドが脱走した際にそれを破壊する仕事を行っている。アンドロイドは人間と見間違えるほどに精巧に作られており見分けるには人間とアンドロイドの違いとされる感情移入能力をテストするしかない。アンドロイド狩りを続けるなかでリックは魅力的なアンドロイドやアンドロイドのような冷たさをもつ人間に出会うことで「人間とアンドロイド」という区別に疑念を抱くようになっていくというものだ。

 あらすじからもわかるように本書の重要なテーマは感情移入能力(共感)である。つまり、他者が抱いている喜びや悲しみの感情を自分も共有し、それを感じるといったことが人間にはできて、アンドロイドにはできないとされているのだ。そしてそうした感情移入の対象も人間に限定されているはずなのであるが、物語が進むなかでリックはアンドロイドにまで感情移入の対象を広げることになってしまう。リックは自分がやっていることが単なる処理ではなく殺害であると強く意識してしまうのだ。

 物語を理解するうえでもう一つ重要な要素となるのは動物の存在であろう。本書の世界観では動物がほとんど絶滅しており、生きている動物は希少である。なので動物を飼うことは一種のステータスになっているのだが、動物を飼って世話をするというのはある種の道徳的な行為であるともされているのだ。物語にも出てくる『電気羊』とはリックが仕方なく購入した機械仕掛けの動物のことを意味している。本物の動物、とくに羊や馬は貴重で高価であるので手が届かないけれども他人の目を気にして動物を買う人のために機械仕掛けの動物も需要があるという世界観になっている。機械仕掛けの動物も精巧に出来ているのだが、リックはそれには不満でありいつか本物の動物を手に入れようと必死になっている。

 このように本書では「人間とアンドロイド」と「動物と電気動物」という図式が存在し、それはいわば「本物と偽物」の区別であると言えるかもしれない。「本物」という領域にはアンドロイドは含まれることはない。それ(本書ではアンドロイドを示す代名詞は彼、彼女ではなく「それ」になっている)は判断し、表情も豊かなのように見えるのだが決して本物にはなれないのだ。リックも最初はその図式に従っていたのだが、上記にも書いたように「本物と偽物」を区別するのが結局わからなくなっていくというのが物語の大筋である。

 ここでもうすこし本書における感情移入、共感の概念について見ておこう。この物語で人間たちは「共感ボックス」という特殊な機械を使っている。その機械を使うとマーサーと呼ばれる老人が坂を登っているのだがそれを邪魔するかのように石が投げられているというイメージが映し出される。人間たちはそのイメージに共感しあうことで喜びや悲しみを共有しあう。こうした行いは「マーサー教」と呼ばれ人間たちの価値判断の源泉となっている。ここにある感情移入、共感の働きの役割は人間の一体化にあると言えるだろう。

 他方でこうした感情移入、共感の能力の有無は「われわれとわれわれ以外」を区別する基準、この物語でいうならばアンドロイドを排除する基準になっている。 リックはフォークトカンプフ感情移入度検査法と呼ばれるテストで人間とアンドロイドを区別している。テスト方法は道徳的にセンシティブな内容が書かれている質問をよみあげそれに反応する際の顔の筋肉や目の動きをチェックするというものだ。感情移入能力がないアンドロイドは道徳的な判断を伴うテストにたいして人間とは異なる反応を示してしまうのでバレてしまうというわけだ。このように本書では感情移入、共感というの力は集団の一体化と集団からの排除という話題に関連して言及される。

 リックが出くわした事態は上記のような共感概念では十分に説明できないものであった。それは共感の配慮の対象になるものが本物の人間や動物に限定されないということだ。アンドロイドは共感能力をもっていないかもしれないが、それでも人間がアンドロイドにいわば一方的に共感してしまうという事態はありえる。これは共感し合う存在としての人間観や生命観を揺るがすことになる。リックがそうした自分の価値観が揺さぶられていることを意識したきっかけとしてレッシュという同じくアンドロイドを処理する同業者と出会ったことがあげられる。リックは楽しんでアンドロイドを処理するようにみえるレッシュを見てアンドロイドなのではないかと疑う。そこでフォークトカンプフ感情移入度検査法を行うのだがその結果はレッシュは人間であるというものだった。テストの後に行われる会話は印象的なものである。

「新しいイデオロギーの準備はできたか?」フィル・レッシュがきいた。「つまり、おれが人類の一員であることが説明できるような」リックはいった。「きみの感情移入と役割取得の能力には欠陥がある。このテストには出ないが。つまり、きみのアンドロイドに対する感情だ」「むろん、そんなテストはあるわけがない」「あるべきかもしれない」フィリップ・K・ディック,浅倉 久志. アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (Japanese Edition) (Kindle の位置 No.2332-2336). 早川書房. Kindle 版.

 ここでリックはアンドロイドをも共感の対象にするような新しい価値体系を築くことを迫られるが、それは簡単なことではない。自分の混乱を抑えるためにリックはアンドロイドとのセックスを試みたり、本物の動物を飼ったりして気を紛らそうとする。しかし、物語の終盤では結局アンドロイドを殺してしまうことになる。疲れ果てたリックは砂漠で放浪することになり、そこで偶然カエルを見つけて喜びのあまり家に持ち帰るのだが妻にそのカエルは機械であると指摘されてしまう。悲しむリックだが次のようにも言うのだ。

電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも フィリップ・K・ディック,浅倉 久志. アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (Japanese Edition) (Kindle の位置 No.3998-3999). 早川書房. Kindle 版.

 電気羊を毛嫌いし、本物の動物を求めていたリックが電気動物をたとえ勘違いだとしても生命があると感じたことは彼の価値体系が変化したことの証左であるといえる。そしてここでのリックが抱いている価値体系は他人と共有できないので彼は孤独なのかもしれない。しかし、それでもなお自分が感じた喜びは本物であったというところに救いはあるのかもしれない。

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