イギリスという国についてどのようなイメージを持っているだろうか。2022 年 9 月 8 日にエリザベス女王が亡くなったことが報道され、イギリスの女王が亡くなったということは知っている。他方で私自身はこの国について知っていることはあまりに少ないことにも気づいた。
本日紹介したいのは川北稔『イギリス近代史講義』(講談社現代新書)である。
第一章では都市の生活文化について語られる。そもそも都市とはなんだろうか。本書では「匿名性」をキーワードに都市の特徴を描いていく。ロンドンでは 16 世紀の終わり頃には人口が 10 万人をはるかに超えていた。こうした状況では街ですれ違う人のほとんどが見知らぬ人である。このような匿名性の高い社会ではなによりも外見が重視されることになる。たとえば衣服やアクセサリーに凝ることになり、他人と差をつけることに熱中するようになる。人は身なりで判断される。つまり上流の格好をしている人間は上流ということになっていく。こうした都市の文化はロンドン以外の地方都市にも広がっていくことになる。こうした都市化の最大の特徴としては人々の生活が「自給」から「購入」へと転換することが指摘できる。こうした商品化によってモノやサービスは経済統計上の「生産」になる。都市化と経済成長はこのように結びついているのである。
第二章では現代の病であると本書が主張する「成長パラノイア」について検討する。「成長しなければならない」「前よりよい生活にしなければならない」、このような強迫観念を本書では「成長パラノイア」と呼んでいる。たとえば給料を倍にするとさらに働くのではなく、働く日を半分にするという選択もあってよいはずであるし、実際にいたのである。ここで注目すべきなのは 17 世紀から消費するものがたくさん出てきて、よいものをみにつけると上流に見られるという転換があったことだ。また主権国家の登場により、主権国家同士の経済競争が行われるようになる。こうした状況で意識されるのは人口の増減数や人の移動である。「政治算術」の登場により教区を単位として人間の死亡数を観察し、そこから人口のおおまかな増減を予想するようになる。こうした人口の長期変化をかんがえることではじめて国民経済の成長という考え方が登場するようになる。こうした成長という考え方が「成長パラノイア」になっていくのである。
第三章では拡大するヨーロッパ世界システムのなかでイギリスがどのような立ち位置にあったのかが検討される。近代世界システムはなぜヨーロッパ人が主導権を握るようになったのか。西ヨーロッパでは主権国家が並立しており、競争する状況下にあった。重商主義やその経済力をもちいた軍事的な競争の結果、戦争の技術がどんどん発展し、アジアへの進出を果たすことになる。こうした時代の中でイギリスはイギリス帝国になっていく。なかでも特徴となっているのは植民地を保有していたことである。というのも、イギリス社会の中で経済的に生きていけない人、生き難い人たちが帝国植民地へ行ったり、没落しかけたジェントルマンが植民地に渡るという選択肢がありえるからだ。他にも弁護士、医師といったジェントルマン的職業の必要性を高めていたのも植民地を保有していたメリットなのである。イギリス帝国が近代世界システムのヘゲモニーを握った結果として現在われわれが英語を世界共通語のように使用しているということも指摘されている。
第四章ではなぜイギリスが世界で最初の工業化を達成したのかが論じられる。ここで着目されるのは産業革命とその資金源がなんであったかである。まず考えられるのは奴隷貿易や毛織物工業の発展であろう。しかし、それらの利益が本当に産業革命の資金源になったのだろうか。ここで本書が提案するのは毛織物工業をはじめるにはそれほど資金源が必要ではなく、むしろ重要だったのは社会的間接資本、つまり道路、労働者の住宅、河川の改修などであった。そしてその資金源となったのが地主ジェントルマンだったのである。こうしたジェントルマンは経済的合理性ではなく、自分のメンツ、つまり隣の領地には学校があるのに自分の領地にないのはみっともないといった発想から行動したのである。また悲惨なものとして描かれがちな女性と子供の雇用についても触れられている。たしかに、男性に比べると子供や女性は賃金が低かったものの、それ以前の状態よりは改善されていたことを指摘する。つまり、彼らは独立した労働者となることでその所得も明確になり、台所用品や衣料品といった戸主とは異なる支出のパターンを作り出したと考える。
第五章では豊かになったと思われたイギリスが衰退したかどうかが論じられる。とくに注目されるのは 1950 年代末から 60 年代初め頃である。日本やドイツが成長しているのにイギリスは成長していない。この事実をどう説明するのか。たとえばイギリスの衰退の原因を帝国にあるとする考え方である。この考え方はとても古く、1950 年頃にはすでに存在していた。また、労働組合が強く、改革を拒んでいるので衰退したという主張もあった。興味深いことに衰退論自体が盛んに行われていたのである。そしてこうした衰退論を利用することで自らの改革を推し進める政治家が登場したことにも触れられる。むしろここで問題になっている「衰退感」とは「成長パラノイア」の裏返しであり、それに対応した経済成長ができていないという見解も考えられる。とはいえ、衰退そのものが本当に問題なのか、それは不幸を意味するのかと問いかけて本書は終わる。
以上が概要である。イギリス近代史講義というタイトルにふさわしい内容であるだけでなく、世界という観点からもイギリスを位置づけていてとてもおもしろい。他方で多少雑談があったりするなど通読するうえではストレスになるところもあった。とはいえ、イギリスについて考えるのならまずは読みたい一冊である。