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哲学したいならこれを読もう - 佐藤岳詩『メタ倫理学入門―道徳のそもそもを考える』(勁草書房)雑感 -

2022年08月29日

書評
倫理学
佐藤岳詩
B08729CSK4

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 道徳的な事柄、たとえば人工妊娠中絶や肉を食べていいかどうかという問題はそれ自体が非常に論争的であるとともに、道徳とはそもそもわれわれが論じるに値することなのかという懸念も付きまとっている。というのも、道徳は人それぞれであったり、あるいは時代や場所によって変わると思われるからだ。となると、われわれは道徳的な事柄について論じるのをやめたほうがいいのではないか、そう考えてしまうのも仕方ないように思われる。

 そうした道徳のそもそもについて考えるのにおすすめなのが佐藤岳詩『メタ倫理学入門―道徳のそもそもを考える』(勁草書房)である。本書は倫理学における「メタ倫理」という分野の解説本になっており、まさに道徳とは何かを考えるための格好の材料といえる。まずは本書の内容についてかんたんに紹介しよう。

 本書は三部構成になっている。第一部ではメタ倫理学とは何かという入門的な説明からはじまる。倫理学には規範倫理学、応用倫理学といったわれわれはどうすべきで、何をしてはいけないかという問題や現実のこの場面で私たちはなにをすればいいのかという問題を扱う分野がある。こうした分野にたいしてメタ倫理は一歩後ろから規範倫理学、応用倫理学を眺めるようなものであるとされる。つまり、正しいことやなすべきことがあるという前提を疑うのである。正しいことは本当に存在するのか、そもそも正しいとはどういう意味なのかをメタ倫理は問うのである。こうしたメタ倫理の議論はどういう役に立つのだろうか。本書によれば、道徳の意味を明らかにすることで議論の明確化や固定観念や偏見を吟味することで自分たちが受け入れている道徳や倫理を見直すきっかけになるのだという。そのためにメタ倫理の問題は倫理的な問題に答えはあるのか、倫理的な判断とは何か、といった問題を考えるのである。そしてメタ倫理における基本的な考え方、主観主義、客観主義、相対主義について検討されていく。ここで注目すべきは相対主義であろう。道徳に関する相対主義にもいろいろある。たとえば事実レベルの相対主義は「事実として、道徳は文化によって違う」と主張するが、反論者は「一見、違う道徳に従っているようにみえるが表面的なことであって、実は同じ道徳に従っている」といった反論ができる。たとえば挨拶をするときには様々な方法があるが(会釈する、手を挙げるなど)、根本的には「知り合いにあったら挨拶をする」という同じルールがある。また規範レベルの相対主義についても「事実だけから規範的な主張はできない」、「差別や暴力を文化だからといって受け入れるのだろうか」という反論がなされている。こうした相対主義という道徳についてよく言われがちな主張も吟味してみるともっともらしくなかったり、それほどインパクトがなかったりするのは興味深い。

 第二部からはメタ倫理における具体的な問題が論じられる。主に論じられるのは道徳における真理をめぐる問題である。道徳的性質は存在するかどうかという問題は一見すると奇妙におもえる。というのもわれわれが存在する世界は物理的法則に支配されており、そこには正しさ・不正、善さ・悪さという性質が存在する余地などないようにおもわれるからだ。しかし、道徳的な性質が存在しないとなると、道徳的な真理が成立する余地がなくなる。つまり、あの人は悪人であるかどうかという問題について、つまり道徳的な問題について答えが存在しないということになる。それゆえ道徳的性質が実在するかどうかという問題は重要なのである。もし道徳的性質が存在しないとするなら道徳は意味がないのだろうか。意外にそうでもない。たとえば道徳的性質は存在しないとしても道徳を利用しようという「道徳的虚構主義」という立場がある。他方で道徳的性質が存在すると主張する人々はどのような議論を行っているのだろうか。まず考えられるのが道徳的性質は観察や実験によって確かめられるような身近なものであるという自然主義的な立場であろう。しかし、この立場はムーアによる「開かれた問い論法」の餌食になってしまう。つまり、「この行為は快を増やす。ところで、この行為は善いのだろうか」という問いかけは完全にイエス・ノーを許すという点で開いた問いである。この問いかけのポイントは善を他のなにかで言い換えたり、自然的な性質で定義することが不可能であるということだ。それゆえ、自然主義者がいうような意味での道徳的性質が存在するという立場は危ういものになる。本書ではこの問いかけに対して自然主義的な実在論者がどのように応じてきたかが詳しく説明されている。他にも正しいことは非自然主義的な仕方で存在するのではないかという立場やそもそも実在するかどうか白黒をつけようとしすぎじゃないかという立場もあり、メタ倫理における議論の複雑さを体感することができる。

 第三部では道徳の力が説明される。道徳的な問題に答えるとはそもそもどういうことなのだろうか。道徳的な判断とはなんだろうか。たとえば表出主義という立場では道徳判断を下すとは判断する人の態度を表出し、相手の態度に影響を与えるものである。これに対して認知主義、記述主義は道徳判断と事実判断が根本的に異なるものではないとする。この立場の問題として道徳的な動機づけをどのように説明するかというものがある。これに関してもかなり複雑な議論が行われており、ついていくのが難しいものが多々ある。最後にそもそもわれわれは道徳的に振る舞わないといけない理由はなんだろうかという問題について述べられている。

 以上が概要である。上記からもわかるようにメタ倫理について包括的に説明されている良書である。同時に読者はこうした体系的な説明がほんとうに適切であるのかということも自分で考えながら読み進めていくことが求められるであろう。メタ倫理という分野は倫理学だけでなく、現代の哲学の議論にも深く関わるものが多いので、本書は哲学入門としても最適であると思われる。とりあえず哲学したい人はみんな読むべきである。

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