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資本主義社会に必要不可欠なもの - デイヴィッド・ガーランド(小田徹訳)『福祉国家―救貧法の時代からポスト工業社会へ』(白水社)雑感 -

2022年08月15日

書評
デイヴィッドガーランド
B09P31SWLK

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 今回紹介するのはデイヴィッド・ガーランド(小田徹訳)『福祉国家―救貧法の時代からポスト工業社会へ』(白水社)である。福祉という非常に論争が絶えないテーマについて、本書は歴史と理論から解説を試みている。

 第一章では福祉国家とはそもそもなんなのかという根本的な問いかけがなされている。われわれの日常では福祉国家がなんであるかを論じることをしなくても福祉を充実させようと意見したり、福祉は甘えであるといった非難がなされたりする。本書の目的は福祉国家は貧困層への施しでも経済の足手まといでもなく、近代的統治に根本的なものとして説明することにある。興味深いことに本書が指摘するのはわれわれ現代の世界において福祉国家装置を持ち合わせていない国家は存在しないことだ。国ごとにその手広さや手厚さに幅があるとしてもだ。同様に福祉国家にも三種類の考え方がある。第一に貧困層のための福祉、第二に社会保険、ソーシャルサービス、第三に経済のガバナンスである。こうした三つの特徴は相容れないようにみえるけれども、本書ではこうした特徴の中心に失業、障害などによる収入源に対する保険制度があることが指摘される。そして福祉国家は資本主義の経済プロセスにかぶさるようにおかれており、市場経済の修正と道徳化を行う設計になっている。

 第二章では福祉国家が生じるまでの歴史が説明される。そもそも福祉の社会的ルーツはなんだろうか。人間社会において重要なのは人間が共存しているということであり、そこから権力関係が生まれることである。君主は国を維持しようとするために政体を安全な状態にしようとするし、家族でも子供は親に依存するが老いれば親は子供に依存する。こうしたことからも社会支給の源泉は複数であること、つまり血縁集団と共同体や地方政府と中央政府などの組み合わせ、混合状態である。国家の役割についてもう少しみてみよう。本書で特に注目されるのは近代初頭のイングランド国家による救貧法という救済自供システムである。これにより旧来の施しの提供元であった地域の共快などから地方政府の役人がその役割を担うことになったのだ。しかしこうした保護策も市場資本主義、都市化、工業化によって侵食されることになる。本書ではこうした事態を「道徳経済(モラルエコノミー)」の失墜と表現し、資本主義が道徳や社会関係の制約を受けないようにした。これとともに貧民たちの拠り所であった社会的保護も崩壊していくことになる。こうした自由市場的自由主義と道徳経済、社会的保護の対立関係は政治的議論の中心にあり続けている。

 では福祉国家はどのように誕生したのか。第三章で説明されるのは 1960 年までにいたるところで福祉国家が確立されてきた経緯である。本書は福祉国家による統治は都市化や工業化された社会の問題にたいする応答として描くことができるというものだ。工業社会、都市社会によるリスクとは町や都市への大規模な移住によって人々がコミュニティとのつながりを絶たれること犯罪や感染病が増えるといったものである。こうした問題に対する支給やケアはうまくいかなかった。というのも、救貧法や地域のチャリティからなるシステムが念頭に置いていたのは地域社会だったからだ。こうした課題をクリアするために要請されたのが福祉国家だった。もちろん、国ごとに違いはあれども資本主義に対応するという点においては普遍性が見られたのである。

 ではこうした福祉国家の特徴はなんだろうか。第四章で説明されるのはこうした特徴の定義である。福祉国家にある五つの制度セクターとは社会保険、社会扶助、公的資金によるソーシャル・サービス、ソーシャルワークとパーソナル・ソーシャルサービス、経済のガバナンスである。これらのセクターがもちろん必ずうまくいっているというわけではないし、それらがコンフリクトを生じさせることもある。そして福祉国家は根本治療法的ではなく対処療法的にならざるをえない。とはいえ、こうした福祉国家の根底にある統治合理性は注目されるべきである。これによって統治の性質と目的の捉え方、経済と人口の捉え方が変化することになる。

 もちろん、福祉国家にもいろんな形態が存在する。第五章で論じられるのはそうした福祉国家の複雑さ、多様性である。福祉プログラムも異なれば、財源も異なる。しかしながら、このように多様な福祉国家も分類は可能である。たとえばエスピン=アンデルセンは福祉プログラムが労働市場や家族とどのような関係を結ぶかを決定する構造原理のほうに着目し、社会民主主義的レジーム、保守主義的レジーム、自由主義的レジームに分類した。

 さて、福祉国家はこのように多様であっても問題点はある。第六章はおもにそうした問題点が扱われる。福祉が対処療法であったり、運営がうまくいかなかったりするのだが、主な批判は「逆転」「危険性」「無益」の三点からなされる。つまり、福祉国家は事態を改善するどころか改悪するものであり、われわれの価値観を脅かすものであり、貧困を終わらせ格差を減らそうとする努力は無駄であるのだ、と。とはいえこうした福祉国家の失敗、問題であるようにおもわれる点は市場の失敗に原因を求めることができるため福祉国家と市場経済の相補的な関係を再考する必要がある。

 第七章から第九章では時代の流れや変化に福祉国家がどのように対応したのかが論じられる。新自由主義による福祉国家への批判はとても強く、福祉制度を今まで以上に市場アクターのように振る舞わせる形で再構造化することであった。しかし、こうした攻撃のなかでも福祉国家の重要な部分は残り続けていることに本書は注目している。そして現在のグローバル化、脱工業化の流れのなか福祉国家も変わろうとしている。その原因となっているのは設計段階では想定しなかったリスクである。長期失業状態、不安定な雇用形態などは社会保険の限界を示すこととなった。社会保障の柔軟性や非標準的な雇用契約ではたらいているひとまで社会保障を拡大するといった対応がもとめられている。新たなリスクとそれに対応する福祉国家という枠組みで考えると、現状維持をのぞむものとそうでないものとの対立といった問題も出てくる。これは困難な問題であるが対処しなければならない問題である。福祉国家は近代統治の一面であり、資本主義社会において必要不可欠なものだからだ。

 以上が本書の概要である。福祉というテーマについて本書は非常にコンパクトでありながらも体系的な説明を行っておりとても勉強になる。200 頁ほどではあるが内容が充実しており、近代社会における福祉について学ぶには最初の一冊として適切であろう。

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