SHEEP NULL

ニーチェの新しい読み方 - ブライアン・ライター(大戸雄真訳)『ニーチェの道徳哲学と自然主義『道徳の系譜学』を読み解く』(春秋社)雑感 -

2022年07月25日

書評
哲学
ニーチェ
ブライアンライター
4393323904

Amazon リンク

 ニーチェとはどのような哲学者、思想家であるといえるだろうか。ニーチェほど象徴的な、ある意味わかりやすい哲学者像はないかもしれない。語彙的な難解さ、いわゆる哲学的な文章とは一線を画するアフォリズム的な文体の援用、そして相手を小馬鹿にするような挑発的な語り口。こうした反社会的、露悪的なニーチェ像はときには嫌われながらも哲学を愛好する人々のいわばヒーローとして語られることも多い。現代社会の偽善や傲慢さを突き刺すような暴力的とも言えるその思考は現代でも決して軽んじてはならない雰囲気を醸し出している。

 こうしたニーチェ人気も相まってニーチェの著作の翻訳だけでなく、ニーチェの解説書も多数出ている。不思議なことに、こうした解説書は平易とはいえないものも多く、ときにはニーチェ的な特徴を自分で語り直すかのようなものもある。まるでニーチェについて語るにはニーチェ的にしか、あるいはポストモダン的にしか語れないようなそういう空気さえ存在する。もちろん、こうした難解さはニーチェだから仕方ないのだと言い切ってしまうこともアリかもしれない。しかしながら、現在、哲学は知らない人にはそうみえないかもしれないけれども豊かな発展を遂げており、昔の哲学者が書いたものを読んで解釈するだけではないのだ。たとえば以前にも紹介した哲学的自然主義という立場はまさに現代の哲学の花形といってもいいであろう。哲学的自然主義とは経験科学、たとえば脳神経科学や釈迦心理学といった分野の方法論や成果を取り入れつつ哲学的なトピックである自由意志や道徳的責任、心のはたらきなどについて哲学する方法論のことである。このように現代の科学の進歩にあわせて哲学することもアップデートする必要があるのだ。こうした傾向があるなかでニーチェ研究もなにかしらのアップデートが必要なのではないだろうか。

 今回紹介するブライアン・ライター『ニーチェの道徳哲学と自然主義: 『道徳の系譜学』を読み解く』はわれわれがニーチェに抱くイメージだけでなく、ニーチェ研究へのイメージも一新させる極めて素晴らしい書物である。まずはかんたんに本書の内容について見ていこう。

 第一章ではいわゆるニーチェ研究がフーコーやデリダのようなポストモダン的な読解がなされていることが支配的になっていることにたいして、本書の立場がニーチェは自然主義の哲学者、人間本性の哲学者なのであるという陣営にいることが宣言される(5 頁)。とはいえニーチェがいったいどうして自然主義者であるといえるのかという疑問が出てくるであろう。本書ではニーチェは諸科学の成果にだけ頼るタイプではなく、諸科学の方法論を見習う「推考的 M 自然主義者」であることが強く主張される。こうした解釈によればニーチェは道徳を含む人間的現象を説明しようとし、生理学のような実際の科学的成果を頼りにするだけでなく、こうした現象の因果的な決定要因を露わにするという意味で科学をモデルにしているとされる。同時にニーチェが唯物論や形而上学を嫌悪していたことや「パースペクティヴィズム」に代表される認識や心理への懐疑といったものが自然主義的アプローチとどのように調和するのかといった点が論じられる。

 第二章ではニーチェの思想的背景が説明される。本書で注目されるのはニーチェがきちんとした古典文献学という学問的訓練を受けたこと、ニーチェが注目していたソクラテス以前の哲学者は哲学と自然諸科学を区別していなかったこと、同情を重視していたショーペンハウアーへの異議、ドイツ唯物論の影響などが提示される。興味深いのはニーチェの古典文献学者としてのキャリアが高く評価されている点であろう。ニーチェは古典文献学を捨て去ったという印象が強かったが、彼の採る方法論のうちの強く根付いているのである。

 第三章と第四章とではニーチェの道徳批判がいったいどのようなものであるかが論じられる。ニーチェが道徳にたいして批判的であったことは明確であるがいったいどのような道徳を攻撃しようとしてたのだろうか。本書ではニーチェがあらゆる道徳を批判していたとか特定の時代の特定の宗教的道徳を批判していたという解釈を退ける。そうではなくニーチェが批判しようとしていたのは軽蔑的な意味での道徳であり、その意味での道徳は形式的には行為者が自由意志を備えていること、行為者にとって行為の動機は透明であるので行為者の行為は動機によって区別できること、行為者である人間は類似しているので一つの道徳的規則はすべての人間に適しているという三つの記述テーゼに依存しているがこれらのテーゼは成立していないということをニーチェは主張しようとしていたのである(112-4 頁)。これらの章は本書のなかでもかなりクリアな議論が展開されている。ニーチェをここまで明確に解釈できるものなのかと驚くであろう。とりわけ軽蔑的な意味での人間の卓越性を阻害してしまうというのはかなりわかりやすいものであった。

 第五章から第九章まではニーチェの主著である『道徳の系譜学』の本格的な読解が論じられる。やはりニーチェであるので難解ではあるものの決してごまかしたり、レトリックに逃げようとしないで厳密に解釈しようとする本書の態度はすばらしい。『道徳の系譜学』はニーチェの主著であることは否定できないが、本書で展開されるような複雑な構成をもっているのは驚きであった。

 残る章ではニーチェが受けてきた誤解を払拭し、自然主義的解釈におけるニーチェの今後などについても触れられている。ニーチェ的な自然主義は現代の道徳心理学と相性がよいことなども言及されさらなる発展が期待できる印象を抱く。

 以上が内容のかんたんな紹介である。本書はニーチェを学問的に研究するための最初の一歩として必読となるであろう。また翻訳にかんしても非常にリーダブルであり、最後まで難なく通読できた。訳者による解説や読書案内も付記されており非常に便利である。本書の研究的な解釈の是非について私自身にはそれを評価する能力はないのだけれども、重要な箇所で『権力への意志』のような問題のあるテクストを参照するという点が気になった。本書では一応自覚的に『権力への意志』というテクストにたいする扱いが難しいことが述べられているけれども、それでもやはりそこからの引用は多いとおもった。とはいえ、本書はクリアでわかりやすいスタイルで論述されているので批判する方も明確な仕方で議論できるであろうし、今後ニーチェ研究が発展していくための試金石であることは間違いないであろう。

4393323904

Amazon リンク


Profile picture

© 2022 SHEEP NULL