社会学という学問を語るときによく言われるのはその掴みどころのなさであろう。たとえば社会学という単語は家族社会学、地域社会学というような堅いイメージのものからアニメの社会学、ゲームの社会学というソフトなものまで幅広い。この幅広さは社会学という学問の可能性を感じると同時に「それはもう社会学とつけばなんでも社会学になってしまうのでは?」という疑問を持つ人がいるのも不思議ではないであろう。あまりにもなんでも扱える社会学は本当に学問なのか?これに関係してさらに指摘されるのはその方法論的多様さであろう。社会学といえばデータを使った分析やアンケート調査といった量的なものから、インタビューや文章解釈を通した質的なものまで多岐にわたる。興味深いのはこうした方法論の違いがあるにもかかわらず同じ社会学というラベルを維持していることにある。すると社会学を社会学たらしめているような根本的な方法論とはいったいなんであるのか。それはデータ分析や質的調査でもない第三のものなのだろうか。
上記のような疑問は社会学についてとくに勉強してない人がもつ社会学のイメージについての最たるものであろう。社会学はなぜそんなにいろいろ扱えるのか?そして社会学の特徴となる方法論は存在するのか?こうした疑問からよく言われると思われるのは扱えるテーマの幅広さとその方法論の多様さは社会学の魅力でもあり、弱点であるかもしれないということだ。一方では社会の不平等や福祉について考える学問が、他方では人々を楽しませるエンターテイメントや一見重要とは思われていないものも学問として扱っている。さらにいえばそこで用いられる方法論も異なる。社会学という学問が何をしているのかわからなくなるのである。
今回紹介するケン・プラマー(赤川学監訳)『21 世紀を生きるための社会学の教科書』ちくま学芸文庫はそうした社会学という学問がいったいどういう営みをしているのかについて考える際に重要になると考えられる。本書はタイトルにある通り社会学の最新の知見について包括的に論じながらも、他方では社会学という学問がどのような発展を遂げて、どのような反省をしてきたかについても教えてくれる良書である。
内容を具体的に検討しよう。本書を読み始めると第一章で論じられるのが「想像力」であることに少し戸惑う人もいるかもしれない。「社会学はあやふやではないか?」というモチベーションで読んでみると「想像力」というさらにあやふやな単語が出てくるからだ。しかし、本書の魅力はまさにここにある。本書がまず問いかけるのはわれわれはこの社会に投げ込まれているということだ。すでに出来上がったこの社会のなかに突然生まれてくる。この社会的事実に注意を向けることを促す。他方でわれわれもまたこの社会を作り上げていく個人であることも忘れてはならない。われわれは社会に対して受動的でもあり能動的でもあるのだ(21-2 頁)。ここで社会学的な視点を導入するとどのようなことが起きるだろうか。重要となるのは他者の概念であろう。本書は他者と自分との差異、つまり違う集団、国家、時代に生きる人々と自分との違いについて違和感をもつことの重要さを示している(23 頁)。これを可能にするのは自分が当たり前だと思っている世界の見え方を捨て、他者からの世界の見え方に対する共感を深める必要がある(23 頁)。そして自分がよその社会ではまったくなにもできないことに気づくであろう。言葉も文化もわからずただ立ち尽くししかできない。だがこうしたいわばアウトサイダーとしての視点が社会学にとっても重要なのである。社会に属せない人はいったいどのような人々であるかという観点からも社会について考えることができるからである。そうした社会から「いないことになっている人」の発言を受け止めることで社会学はするどい光を投げかけることができるのである(26-27 頁)。
このように社会学は社会のダークサイド的なものを扱う側面がある。戦争、貧困、飢餓によって苦しみ死んでいった人々に関心を向け、個人的な苦しみが社会的に起源をもっていること、つまり個人的な課題が公共的な問題であるという点に関心を持つようになるのが社会学なのである(30 頁)。他方で、人間の科学や文化の発展といった輝かしい側面についても社会学は注目する。そこには科学技術だけでなく芸術、音楽、スポーツといったものも含まれている。こうした人間らしい幸福な生活に目を向けることも社会学の仕事であるとされる(33 頁)。このように社会学は想像力を用いることで様々な社会の側面に目を向けることができる。ここに社会学の扱うテーマが広くなる理由があるのだ。
では社会学の方法論の多様さについてはどうだろうか。本書でそうした問題が扱われるのは第 6 章であろう。たとえば社会学では犯罪のデータをそのまま受け取ることは決してない。なぜこのデータが集められたのか、誰が犯罪について報告し、定義し、記録をとったのかといった様々な立ち位置を検討する必要があるからだ(305 頁)。それゆえ社会学では様々な立ち位置やものの見方を多く取る必要がある。そしてその立ち位置や視座がどのように形成されたのかというより広い文脈から考えるナラティブという観点がここで重要になると本書は論じる(306 頁)。とはいえ、すべての視座とナラティブが同等であるので相対主義に陥るという見解を主張するわけではない。社会学はこうした物事同士の関係を観察し、立ち位置と視座の違いを認識したりすることによって真実を凝視しようと試みるのである(307 頁)。それゆえ社会学で必要とされるのは常に批判なのである(310 頁)。このように社会学における方法論は想像力を用いた批判にこそあるのだ。
本書のなかでも今回は私自身の関心から重要だと思われる箇所だけを抜き出してきたが、それでも本書は社会学という学問のオリジナリティがどこにあるかというのを平易かつ包括的に示してくれる。高度な知識や権威で読者を惑わせることなく社会学という「微妙」な学問の機微を伝えてくれる本書は社会学を知るためのはじめの一冊として重宝されるに違いない。