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働くってどういうこと? - 筒井淳也『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(中公新書)雑感 -

2022年06月20日

書評
社会学
筒井淳也
B013Q9QULO

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 今回紹介するのは筒井淳也『仕事と家族-日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(中公新書)である。

 第一章「日本は今どこにいるか?」では日本の労働や家族のあり方について論じるために各国と比較しながら日本の立ち位置を明らかにする。まず指摘されるのは「工業化」である。18世紀のイギリスで始まった産業革命からはじまるこの流れは働き方や家族のあり方まで変化させてしまった。男性は自宅を出て仕事場に向かうようになり、女性は専業主婦として家庭のことを行うようになったのである。ここで興味深いのは工業化の流れはある程度共通しているものの、工業化がある程度落ち着いた段階での女性の労働力参加率は国ごとにかなり異なるということである。本書が特に注目するのは自由主義、低負担・低福祉のアメリカ、社会民主主義、高負担・高福祉のスウェーデン、そしてそのどちらでもないドイツと日本である。このなかでもドイツと日本は少子化という問題を抱えている。これらの四ヶ国が1970年代の経済問題にたいしてどのような対策をしたのかが本章のメインとなる。本書によれば日本の対応は政府が直接対処したのではなく、大企業が男性稼ぎ手の雇用を維持し、家庭はパート女性を専業主婦として非労働力化するなどで男性は会社、女性は家庭という性別分業が維持されたのだという。

 第二章「なぜ出生率は低下したのか?」では日本の出生率低下の原因を女性の労働参加率の観点から考察している。出生率の低下の要因として未婚化があげられるのは概ね共通しているものの、未婚化の要因にはまだまだ論争がある。未婚化の要因は価値観によるものなのか経済的要因によるものなのか。本書によればそうした枠組みで考察するのは限界がある。というのも、女性が思い描く結婚へのルートを記述できないからだ。本書はいくつかの結婚へのパターンをあらかじめ考慮したうえでデータを解釈する。その結果、未婚化の要因については女性の高学歴化・労働力参加の増加による希望水準の上昇であると考える一方で、経済成長が鈍化したことによる男性所得上昇率低下の可能性も否定できないとしている。ここからさらに考えられることとして仮説であるとはしているものの、1970 年代以降の未婚化の原因は女性の高学歴化・労働力参加の増加であり、1995 年以降は男性の所得不安定化も関係あるとしている。ここで興味深いのは前章でも言及された国ごとの比較である。たしかにどの国でも雇用労働に従事する女性が増えると出生率が下がるのだが、柔軟な働き方のあるアメリカや公的両立支援制度のあるスウェーデンにおいてはその影響が克服される。そうなると女性が働くことが出生率を上げるようになる。これが可能となるためには女性の長期雇用の見込みが必要であるが、日本ではそれが長らく得られなかったので少子化が低下したというのが本書の主張である。

 第三章「女性の社会進出と「日本的な働き方」」では女性の労働力参加が論じられる。ここで明らかになるのは日本的な働き方の問題点である。日本的な働き方といえば年功序列と長時間労働が挙げられるかもしれないが、本書によれば、年功制、職能資格制度、成果主義の三つで決まっている。このなかでも職能資格制度が日本独自のものである。これはその人の潜在能力を評価する制度であるが、日本的な働き方とかなりマッチする。ここで言われる日本的な働き方とは職務内容、勤務地、労働時間の「無限定性」のことである。このような働き方はメンバーシップ型とよばれ、日本的経営が家族主義だといわれる理由でもある。本書が注目しているのはこうした雇用形態は共働き社会の実現という観点から問題があることだ。たとえば、多くの労働者は勤務場所をかえることになるし、これを拒めば出世する可能性がなくなる。転勤を避ける女性は総合職などを避けることになる。また長期間勤務が常態化し家庭についても責任をもっている女性が排除されやすくなる。他にも男女雇用機会均等法に触れながら女性が労働に参加しにくい状況を描いている。こうした状況に対する本書の提案としては職務単位で限定的な働き方をする労働者を増やすという方向性がある。この方向性には失業率の増加や失業者への支援というマイナスを抱えるものの、ワークライフバランスを実現しやすくなるというプラスを目指せるようになる。

 第四章「お手本になる国はあるのか?」では今後日本がめざすべき国のあり方について他国と比較しながら論じている。結論としては保守主義ではなく社会民主主義か自由主義的な路線を目指すことになるが「大きな政府と小さな政府の対立」という枠組みでは論じきれないものがあると指摘し、労働力を確保するための具体的な方針を検討することが課題であるとしている。ここで一つ的を絞って述べられるのがケアワークについてである。ケアサービスは効率化がとてもむずかしい。モノに関する産業とは異なりケアサービスは人間を相手にする対人サービスである以上、むしろコストを落とすことがサービスの価値を落とすことがあるからだ。製造業のような成長産業ではないことがケアサービスについて考える際に重要となる。こうした状況下でなにが正解かはわからないものの、「専業主婦のいる男性の働き方」がネックになっていることが示される。

 第五章「家族と格差のやっかいな関係」では家族に焦点が当たる。日本型福祉社会では家族がケアを担当することが強く期待され、家族への負担は強いものになる。さらに家事負担の平等化も進んでいない。本書では労働環境の不均等や保守的な意識によって家事分担が理不尽になっていること側面を認めつつもテクニカルな側面もあるのだという。たとえば夫に買い物や残り物で料理をしてもらうスキルを発展するためのコストを考えると妻が自分でやってしまうことや夫婦間でどの程度食事の質に期待するかといった不一致などで家事の分担が歪んだままになっていることが示唆される。

 以上が概要である。本書は仕事と家族という個別に考えられそうな事態をまとめて考えることで見えてくるものがあることを示してくれるという点で素晴らしい。また、本書の構成も見事であり段階を踏みながら議論を展開させている。推測部分はそうであると明言しているのもよい。エキサイティングな部分はないものの新書らしい新書であるといえる。おすすめです。

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