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難しい問題をちゃんと考える。 - ローレンス・J・シュナイダーマン、ナンシー・S・ジェッカー(林令奈、赤林朗訳)『間違った医療 医学的無益性とは何か』(勁草書房)雑感 -

2022年06月06日

書評
医療倫理
ローレンスJシュナイダーマン
ナンシーSジェッカー
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 よい人生は死に際で決まる。そんな考え方もあるかもしれない。どう生きるかという問いかけは常にどう死ぬかという問いかけも含んでいる。それゆえ、もし可能であるならば「ちゃんと死ぬ」というのも人生において尊重されるべき判断と言えるのではないか。

 今回紹介するのはローレンス・J・シュナイダーマン & ナンシー・S・ジェッカー (2021) (林令奈 ・赤林朗訳)『間違った医療: 医学的無益性とは何か 』(勁草書房)である。本書が問いかける問題は難しいが重要である。われわれ自身、あるいは家族、友人にも降りかかるかもしれない問題だからだ。本書でまず紹介されるのは永続的に意識不明となった患者である。その患者はたしかに心拍、呼吸、嚥下は可能であるが、その人の特性、つまり思いや気持ち、記憶、経験などをつかさどるとされる脳の部分は不可逆に破壊されていた。その患者の両親はあらゆることをその患者に行ってほしいと訴えていたが、グロテスクな身体的変化を見たあとで考えを改め、あらゆる処置をやめるように申し出た。しかし、医師と病院は裁判所の指示がない限りはその訴えを拒否すると対応し、そのままこの問題はアメリカ合衆国最高裁判所にまですすむ大きな論争になったのである。

 ここで注目しなければならないのがいったい患者がどのような利益を享受していたかであろう。たしかにその患者に行われた処置はその人の身体を生かしているという点で無益ではないかもしれない。しかし、本書によればわれわれは次のように問いかけなければならない。つまり、医療のゴールとはどんな状態であっても身体を生かしていくことなのだろうか?命とは不可逆的に意識のない身体のことなのだろうか?その患者の身体が生きていたことに疑いはない。しかし、その身体はその患者という人そのものなのか?(11 頁)

 ここで重要な概念となるのは「医学的無益性」である。まず本書は医学的無益性を次のように説明する。「 医学的無益性は一般的な意味での治療、または病を抱える人全体に言及しているのではない。それよりもある特定の場合に、特定の患者に適用される特定の治療に対して医学的無益という用語は用いられる。また、ある種の治療は療法に失敗するという理由で無益になる。ケアという行為は無益ではない(9 頁)」。本書はこのように治療、療法、ケアという用語を区別する重要性について主張している。さらに「医療のゴールは明確にその人の利益になること、回復させること、癒やすことである。それゆえそのゴールに達することができない治療、無益な治療を提案することは医療のゴールに含まれない(9 頁)」。このように患者の利益などを理解し、その実現を成し遂げることが医療の明確な目標であることが主張される。本書の目標はこうした医学的無益性と言われるようなことがなされてしまう現状分析、そしてなぜ医学的無益なことをすべきではないという規範的主張を行うことにある。

 ところで本書の特徴として内容の構成が秀逸であるという点が挙げられる。その点に注意しながらさらに体系的に内容を紹介していこう。第一章から第四章までは医学的無益性の定義、医学的無益なことをしてしまう理由、しかしそれをしてはならない理由、家族の態度について触れられている。とくに第二章で挙げられているなぜ医学的に無益なことをしてしまうのかの要因についての分析は身近で心に訴えるものがある。たとえば、「皆があまりに苦労したので、今さらあきらめられない」「周囲の人が感じる憐れみと罪悪感」といった要因は医療というものが単なる技術的な問題であるだけでなく、われわれの心情や意見からも深く影響を受けるものであるということがわかる。

 第五章から第七章にかけては医学的無益性と資源配分、訴訟問題、倫理的問題との関係が論じられる。このなかでも興味深いのは医学的無益性と資源配分の問題であろう。両者は共通する特徴があるものの違いがある。たとえば、「資源配分は希少な資源から利益を得ることになる患者たちの間での優先順位を示すのに対し、無益性は特定の医学的介入が特定の患者に対して生み出す利益の見込みあるいは質が受け入れがたいほど低いことを意味する(105 頁)。」それゆえ、医学的無益性の問題は目の前にいるまさにこの患者にたいしてある治療が医学的アウトカムを達成するかどうかという可能性が存在するかが問題になるのであって、この患者以外にその治療を施すことが優先されるのではないかという問題ではないのである。他にも法を過剰に恐れるあまり不適切な生命維持治療を患者に強いているという事情も詳細に描かれており、勉強になる。

 第八章から第十一章までは医学的無益性にまつわる現状とあるべき姿について、患者の観点、医療従事者の観点から議論され、これまでの議論から予想される反論と応答が行われている。本書では患者にたいしては患者中心の医療に専心すること、つまり病人を癒やし、苦しむ人を支援しケアすることを要求することや(176 頁)、医療従事者にたいしては「無益性」という語が広く用いられている現状を認識し、良好な治療のアウトカムだけでなく不良な治療のアウトカムについても報告することを推奨すべきであるとしている(201 頁)。

 以上が概要である。本書の特徴は医学的無益性という問題について包括的に論じるために様々な観点から問題を考察し、議論を積み重ねていく良書である。本書内でも様々な倫理学者の著作から引用がなされており生命倫理の哲学書として読むこともできる。昨今、医療について考えることが多くなっている時代であるが、こうした問題について考えるためにもおすすめの一冊であると言える。

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