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一冊の本を多角的に読む - 城戸淳『ニーチェ 道徳批判の哲学』(講談社選書メチエ) -

2022年05月23日

書評
ニーチェ
城戸淳
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 読書とはそもそもどういうことなのかについて考えてみよう。本は一回読めば十分であるかもしれないし、お気に入りの本は繰り返し読むということはあるかもしれないが、それでも様々な本を参照しながら一冊の本を読むということはなかなかないかもしれない。とはいえ一冊の本がその本だけで完結していることは稀である。その本を書いた人がどのような本を読んできたか、その本が書かれるのにどのような本が参照され読まれてきたか、そしてその本を読むことにどんな意味があるのか。こうしたことを頭に入れて読み解くというのが人文学というものであろうし、とくに哲学的な古典を読むときにはまさにそうした思考が発揮されるであろう。

 今回紹介する城戸淳『ニーチェ 道徳批判の哲学』(講談社選書メチエ)(以下、『本書』と表記し引用する際には頁数のみ表記する)はニーチェの代表作である『道徳の系譜学』の読解を目標とする本である。この本のポイントは次のような点にある。まずこの本はいかなる意味でも入門書ではない。ニーチェはもちろん、同時代の哲学史的な知識、とくにカント哲学の知識をある程度必要としている。次にこの本はいわゆるニーチェ研究者ではなく、カント研究者によって書かれているという特徴がある。アフォリズムやその思想のダイナミックさによって知られているニーチェと、難解で回りくどい文章と形式張った道徳哲学を主張しているカントとではまさに水と油ともいえる組み合わせであるが、本書は「カントから見たニーチェ」という新しい視点を提供してくれる。そして、本書は『道徳の系譜学』という書物を読解することを目的としているが、ニーチェの他の著書も参考にしながら多角的に読み解いているということが挙げられる。

 本書は全四章から構成されている。第一章「歴史と系譜学」ではニーチェが道徳を批判するのに採用した系譜学という方法論について論じている。ニーチェはもともと古典文献学者であり、その学問的反省として歴史に注目していた。「人間はおのれの生を歴史的に把握し、その把握にそくして未来への自己を形成する(21 頁)」のである。ニーチェにとって道徳について批判的に思考することは過去の道徳史をあらたに編み直し、そこから将来の方向づけを伴うものであった。このように道徳と歴史はニーチェのなかで固く結びついていることが指摘される。

 第二章「ルサンチマン」では『道徳の系譜学』の第一論文の解釈に取り組んでいる。道徳の起源に関する問題はニーチェのみでなく、イギリス的な道徳感情の起源について考える哲学者も取り組んでいるものであった。イギリス的な考え方では道徳の起源とは利他的な行為によって利益を受けた人々がその行いを「よい」と読んでいたが、やがてその「よい」というレッテルが独り歩きし、その行いを「よい」とよぶ習慣だけが残っているとされる(70 頁)。こうしたイギリス的な考え方をニーチェは批判している。本書の表現を借りるならば「そこに見いだされるのは、忘れたふりをして、誰も忘れていない、公然の秘密(74 頁)」なのであり、「道徳の歴史の古層に立ち入ることのない、非歴史的な思考方法の産物(74 頁)」なのである。ニーチェが主張するには「よい」の語源を遡ると身分を表す「高貴な」「貴族的」という概念が見いだされることにある。では、もともと身分の高貴さを表す「よい」が現在の利他的なものを評価するときの「よい」になったのはどうしてだろうか。ここで重要なのはニーチェによれば「ローマとユダヤ」の対立であり、ここで最初の「価値転換」が生じたのである。つまり、軍事的なゲームではローマに勝てないユダヤ人がゲームのルールを変更して、あらたな道徳的なルールにしたのである。このルールのもとでは、貴族的な価値の代わりに道徳的な概念が登場し、後期で美しい貴族を「邪悪」とし奴隷として虐げられてきた弱者が「善」を独占するという価値転換である。こうした価値転換を読み解く鍵として導入されるのが「ルサンチマン」であり、本書はこうしたルサンチマン的価値転換が成功しているかどうかを吟味している。本書ではルサンチマン的な価値転換をイデオロギーではなく原始的な感情の表出であるとする解釈を採用し(98-99 頁)、ルサンチマンと偽善、自己欺瞞の関係について先行研究を踏まえながら論じている。

 第三章「良心と禁欲」では『道徳の系譜学』の第二論文、第三論文を主に検討する。第二論文の主題は良心であり、本書は「自律的で超道徳的な個人」が抱く「よい良心」と社会の折の中で残虐の本能が内製化した「疚しい良心」の二つを検討する。とりわけ解釈上問題になるのが「疚しい良心」なのであるが、フロイトを補助線として「疚しい良心」の独自性を浮き上がらせようとしている。続く第三論文の主題は僧侶の禁欲主義、キリスト教道徳の「自己超克」である。ここでの「疚しい良心」がどのようにして僧侶的な指導によってルサンチマンに至るメカニズムを解説している。さらにキリスト教の「自己超克」が論じられている箇所はニーチェの道徳批判の試みとして読まれるだろうという試みを提案する。

 「第四章 生の価値と遠近法」ではニーチェの道徳批判と現代の規範倫理学との比較しながらニーチェの道徳批判の位置づけを検討し、系譜学を採用した道徳批判がどのような未来志向を描いているかを明らかにしている。とりわけカント的な超越論的な批判をニーチェが継承していると解釈する箇所は興味深い(200-202 頁)。

 以上が概要である。このように本書は『道徳の系譜学』という一見コンパクトでキャッチーな書物を丹念に読み解き、また軽視されがちな箇所も含めて総合的に読み解くことでニーチェの道徳批判の本質を明らかにしようとする。そして、このニーチェの哲学が実のところカントの継承であるというオリジナルな洞察も加えられており、まさにカント研究者から見たニーチェとして大変興味深いものである。

 とはいえ、本書は気楽に読めるものではないことも事実である。少なくとも本書を読んでニーチェに入門するというのは難しいと思われるし、いくつかニーチェの本を読んだことがあり、哲学史におけるニーチェの位置づけなども頭に入っている人を対象にしていると思われるからだ。また、本書の記述も非常に込み入っており、学術論文を読んでいるかのように本書の議論を追う必要がある。それゆえ、学術論文をある程度読む訓練をした人に向けて書かれていると考えられる。上記のような点から本書はニーチェ、あるいは哲学をまったく知らない人が読むとなるとあまりにもハードルが高いので気軽に読めるものではないであろう。

 しかしながら、本書が持っている上記のような特徴は入門書が溢れかえてっている哲学書のなかでむしろ中級者向けという独特の立ち位置を持っていることを示唆している。「ニーチェの入門書を読んだが物足りない」、「入門書レベルのことはわかったが実際にニーチェの本を読むとどう読んでいいのかわからない」、おそらくこうした不満、疑問を持っている人にとっては本書はぜひ読んでもらいたい。本一冊を読むことに人間はどれだけ労力を注ぎ込めるのかを『道徳の系譜学』とともに楽しんでもらいたい。

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