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みんなで決めるのはよいことか? - 坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』雑感 -

2022年05月16日

書評
社会的選択理論
坂井豊貴
B010PZ8SKI

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 今回紹介するのは坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(岩波書店)[以下、「本書」とする]。

 第一章では多数決そのものを吟味している。というのも多数決において多数意見は尊重されているということが疑わしいからである。本書では 2000 年のアメリカ大統領選挙におけるブッシュとゴアの選挙を紹介している。前評判ではゴアが有利だったが、実際はブッシュが勝利した。ゴアが負けた原因としてネーダーというゴアに近い政策を主張する第三の候補者が現れたことによってゴアの支持層が一部奪われたことが指摘される。二大政党に割って入ったネーダーが悪いというよりもそもそも多数決という集約ルールに問題がある。多数決以外のルールとしてボルダルールが紹介される。ボルダは 1770 年に研究報告を行った海軍の学者である。ボルダによれば投票者が候補者を順位づけした場合に、多数決では 1 位になる人が多数意見の尊重を反映していない場合がある。たとえば、3 人の候補者(A、B、C)がいた場合に多数決では当選となる人物 A について投票者の半分がその人物を 3 位にしている場合がある。この場合、投票者の半分が A 以外の残り二人(B と C)で票が割れたので A が当選したといえるのである。すると、A は「A と B」、「A と C」というペアでの多数決では負けることになる。この場合 A は「ペア敗者」と言われる。これに対してボルダはボルダルールと呼ばれる集約ルールを提案する。たとえば選択肢が3つなら1位には3点、2位には2点、3位には3点というように加点をしてその総和で全体の順序を決めるのである。これがなぜ優れているかというと多数決では生じるようなペア敗者を選ぶことがなくなるからだ。また配点を固定することによって、実質的に多数決であることや穏当な配点よりも熱狂的な支持者がいる選択肢が有利になり、少数の熱狂的グループが優遇されることを防いでいるのである。本章の後半ではボルダルールの実用例や当選者が複数いる状況でボルダルールを使うときには組織力を用いてクローン候補を擁立して上位を独占することができるクローン問題などを紹介している。

 第二章ではコンドルセによる集約ルールが紹介される。一言でいうのならコンドルセは他のどの選択肢にもペアごとの多数決でなら勝つ選択肢、「ペア勝者」こそが選ばれるべきであると主張した。そしてコンドルセはボルダルールはペア勝者基準を満たさないとして批判したのである。コンドルセのアプローチは統計的なものである。つまり、順序付けられた三つ以上の選択肢から二つずつ取り出し、ペアごとに多数決をして勝敗のデータを集め、その分析からただしい順序を推測するというものである。このアプローチでは三つの選択肢、X、Y、Z について X が Y に勝ち、Y が Z に勝ち、Z が X に勝利するというようなサイクルが発生する。これはコンドルセのパラドックスと言われるものであるが、コンドルセはこのサイクルを崩す方法として最も得票差が少ないデータを棄却する。これをコンドルセの方法とよぶ。しかしコンドルセの方法では四つ以上の選択肢がある場合にはうまくいかず、コンドルセ自身も苦戦していた。これに光を当てたのがヤングであり 1988 年に発表した論文でコンドルセが言わんとしていることを説明した。ヤングによればコンドルセは最尤法とよばれる統計的手法を用いようとしていたということがわかった。データが不整合であるときには「真の順序」とデータとの誤差であると考え、データとのズレが一番少ないものを選ぶという方法である。ここまで多数決、ボルダルール、ヤング・コンドルセの最尤法と紹介されてきたがどれがいちばんうまくいくのだろうか。本書ではペア勝者基準とペア敗者基準を検討し、ペア勝者基準が要求するものが高いので、それを弱めたペア勝者弱基準を満たすボルダルールとコンドルセ・ヤングの最尤法が有力であると結論する。そしてもう一つ、棄権することであえて自分に都合よく操作できるという棄権のパラドクスを防ぐという基準を設けると、ペア勝者基準を満たすルールでは棄権防止基準を満たせないので、最尤法は除外されボルダルールがもっとも有力という結論になる。

 第三章ではコンドルセが強く意識していたルソーの思想がメインとなる。とりわけ主著である『社会契約論』における一般意志が重要な概念として本書は解説している。一般意志とは共同体の成員たちが自らの特殊性をいったん離れて意志を一般化したものである。そこでは熟議的理性を通じて「私」なるものから「公」なるものへと思考の次元を移すことである。ルソーの考えを投票に関連させて述べるのなら、投票する際に共同体の成員は法案が一般意志に適うか否かを熟議的理性を通じて表明する。この場合多数決によって法案が一般意志に適うかどうかの適否を判定することになる。そして自分の判断と多数決の判断が異なっていても、それは自分が間違っているのであり、一般意志を見つけそこねていたのである。このようなプロセスによって定められた法に従うことは多数派に従うことではなく、一般意志に従うことであり、また一般意志は自らの意志であるので従うという正当化がなされるのである。また一般意志の分割不可能性や譲渡不可能性を考慮すると代表民主主義をルソーが受け入れられないということも紹介される。また代表制と直接制がかけ離れていることもオストロゴルスキーのパラドックを用いて論じられる。

 第四章でもいくつかの話がなされるがなかでもアローの不可能性定理が重要であろう。ここまでのペア勝者やペア敗者の話がなされてきたがこうした「ペア」の考え方を徹底させると「二項独立性」に行き着く。上述の例をもちいるならば「ブッシュとゴアの対決に、ネーダーが一切影響を与えない」という要求である。アローはこの問題にたいしてまともな集約ルールではそのような要求を満たすものは独裁制以外存在しないと回答したのだった。こうしたアローの主張は民主主義の不可能性が証明されたなどと言われることもあるが、それは神話であるということも忠告される。

 第五章では民主的な制度をより強固にするための方策を探っている。具体的なケースを出しながら人々のニーズを考慮したうえで公共政策を実施する仕組みを考察している。

 以上が大まかな概要である。本書の特徴としてまず挙げられるのは 160 頁という短さであろう。とはいえ決して簡単な内容ではなく、「決め方」について深く考えさせられることが多かった。また社会的選択理論のツールの紹介ではなく、「よき社会」を目指すための規範的な内容もあり、きわめて実践的な内容であった。社会問題について考えるうえでは避けることはできない一冊である。

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