学術的な本を読むときに一番気になるのは読みやすさと学術的な信頼性である。もちろん、学術的な本にもいろいろあり、研究者が読む専門書から一般的な読者が読むことを想定している啓蒙的な本まで幅広いのだがそれでも著者がわれわれにどれほど読みやすくしてくれるかというところが気になってしまうのである。もちろん、内容こそが大事であり文体や読みやすさは二の次なのだが読者への配慮にどれほど工夫が行き届いているかも一つの評価の対象になることはまちがいない。今回紹介する小林佳世子『 最後通牒ゲームの謎 -進化心理学からみた行動ゲーム理論入門』(日本評論社)[以下、「本書」と表記する]はまさにそうした読者への配慮が行き届いているものである。まずは簡単に概要を紹介する。
この本のメインとなるのは最後通牒ゲームである。このゲームが魅力的なのは、経済学が想定するような合理的な人間像とは異なる人間像を示してくれるからだ。そして最後通牒ゲームは人間の合理性とは何かという根本的な問題についても新たな見解を与えてくれるのである。
第一章では行動経済学と進化心理学という二つの柱が紹介される。従来の経済学が想定した合理的な人間像を批判したのが行動経済学だ。行動経済学では実験を行うことが大きな特徴である。合理的な人間像を仮定してどう行動するべきかという問題を扱う経済学とはことなり、行動経済学では「実際にはどのように行動するか」を調べるのである。そして本書でもう一つ鍵となるのは進化心理学であり、その詳細は本書が進むにつれて明らかにされる。。
第二章では最後通牒ゲームの説明が行われる。このゲームは提案者 A が回答者 B にたいしてある金額の分配について提案し、それをイエスかノーかで答えるものである。イエスであるならその分配の金額が渡され、ノーの場合は交渉失敗としてふたりともノーマネーとなる。この場合、合理的な人間像であるのならばどのように A がどのように分配を提案しようとも B は「イエス」の一択であり、それを予想として A は自分に有利な分配(99:1 など)を提案するであろう。しかし、実際にこのゲームの実験をしてみるとどうだろうか。結果は文化によって差があるものの、合理的な人間像で想定されるような極端な割合の提案はほとんどなく A の提案が自分の取り分が 40%から 50%、B は 20%から 30%の取り分であるならイエス、少額だとノーというものであった。ここから次のような二つの問題が提案される。問題1は A はなぜ一人占めしないで分配しようとするのか、問題 2 は B はなぜ損をしてまでノーというのかである。
第三章では問題1について論じられる。ここで考えられる予想は A が B からのノーを恐れているというものだ。ここで引き合いに出される実験が「独裁者ゲーム」である。最後通牒ゲームとは異なり、独裁者ゲームでは相手にはイエス・ノーの選択肢が与えられていない。それゆえ、提案者 A は回答者 B に対して(100:0)の分配を提案すると思われるが、実験結果では提案者 A は B にたいして 20%ほどの分け前を与えることを提案したのである。人間というのはおもったより利他的なのであろうか。しかし、ここで思わぬ要素が意外な効果を生み出していることが指摘される。それは実験者の「目」である。観察されることによって提案者は自分の評判を気にしてしまうのである。こうした人目効果はフィールド実験とよばれる方法によっても確かめられている。この方法では自分が実験されているということを知らなくても、他人の目、しかも目のイラストだけでも評判を気にしてしまう行動を取るという結果になったのである。ではなぜ人はこのように他人の評判を気にしてしまうのだろうか。人間は美味しいものを食べたときに脳の報酬系が活性化するが、褒め言葉といった社会的評価にも同様の反応を示すということがわかった。またサイバーボールという実験ではいわゆるキャッチボールを数人で行っているときに仲間外れにされる状況を作り出し、仲間外れにされた人の反応を計測したところ身体的痛みと同じような脳の部位が反応することがわかった。こうした人間の心の動きは進化の過程で獲得されてきたという研究も紹介されている。他にも様々な実験をとりあげながら一見利他的であるとおもわれる A さんの行動が他人にとって正しくみえるかどうかに依拠しているということがわかる。
第四章では第二の問題について論じられている。B の行動は「ズルいから」という一言にまとめられそうなものである。こうしたたとえば「不平等回避理論」というのもあり、それをサポートする実験結果もある。その実験では自分と相手の格差が減りより公平な状態になったときに脳の報酬系が活動するのだが興味深いのは自分が有利で相手が不利な状態が是正されるときも同様の反応をするということだ。こうした不平等を回避しようとする傾向は人間の赤ちゃんや動物にもみられる現象である。こうした現象は最後通牒ゲームにも生じており、不公平な提案を意図的になされると嫌悪感を司る脳の部位が活性化するということがわかった。このように不公平な扱いを嫌悪することが明らかになった。では自分が損をしてまで相手を罰しようとするのはどうしてなのだろうか。ここではそうした行動を「利他罰」とよぶ。行動経済学者のフェアらの実験の結果、自分にとってメリットがなくてもフリーライダーには罰を与えるという人間の傾向が明らかになる。こうした人間の傾向についてさらに詳しく検討するために本書では人間の共感の働きとその進化的な獲得過程、そして不公平な人にはそうした共感が働きにくいことが説明される。むしろ不公平な人を罰するときにはよろこびを司る報酬系が活性化していることさえあるのだ。他にも自分が利害関係者でない第三者の立場から行う罰の話もあり、とても興味深い箇所である。
第五章ではわれわれが進化の過程で裏切り者を見つけるようになったことが説明される。認知科学などでおなじみの 4 枚ゲームであるが、このゲームを「誰かがずるをしているかどうかをチェックする」ようにカードの名前を変えると正答率があがるのだという。本章ではさまざまなバージョンの 4 枚ゲームを紹介することで進化の過程で人間が意図的に裏切りを行う人から身を守るのに獲得されてきたことを論じる。このように裏切りものを察知する力があるように、裏切り者は比較的よく記憶され、ゴシップによって伝達される。こうしたゲームの結果から市場での取引がヒトを見知らぬ人が相手でもフェア接するようにするといった研究の可能性が生まれる。
第六章ではこれまでの議論を振り替えながら適合合理性の話などをしていく。適応合理性とはわれわれが進化する過程で身体への危害を免れる、病気を避けるなどなどの複数の課題(適応課題)にたいしてうまく解決できた人が子孫を残してきたという意味において合理的であるということだ。進化という長い時間をかけてこうした難題に立ち向かうための心の仕組みがわれわれに埋め込まれているのである。それゆえわれわれは様々な矛盾する行動パターンをもっているようにみえるが、子孫を残すという課題においては一貫した合理性を持っているとも考えられるのである。
以上が本書の内容である。本書の大きな特徴は最後通牒ゲームの実験などを通じて人間の行動や心理を明らかにしてきた知見を説明することにある。そのため数多くの論文やデータが引用されるのだが、本書はそうした学術的な記述や専門用語を必要最低限のもののみ本文にて論述し、その他の重要なものは注釈やコラムにて補完するという構成になっている。そのおかげで本書はメインとなる記述を簡単かつ快適に読むことができるし、気になる箇所は注釈やコラムを見ることで、細かい記述や学術的な論証を楽しむことができる。こうした構成のためか一見分厚く見えるこの本もおもったよりはやく読みすすめることができた。とりあえずでもいいから最初から最後まで読めるようになっているという本書の構造は読者への配慮が行き届いておりとても素晴らしいとおもう。
とはいえ本書にも欠点はある。紹介されている本や書籍の量が多く、著者の研究への情熱が伺えるのだけれども、やはり紹介の仕方があれもいいこれもいいという状態になっており、入門者がどこから入っていいのか分かりづらいものになっている。いままさに盛んに研究が行われている分野なので、そうした分野の研究をまとめることの難しさは理解しつつもやはりロードマップのようなものが欲しかった。
しかし、こうした欠点も読者の側にやる気と熱意があれば網羅された文献リストをチェックすることによって目当ての論文や書籍を見つけることができるであろうし、その意味ではとても教育的な本になっていると言えよう。少し気軽に、けれど堅実に学問をしたい人におすすめの本である。