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市場は遍在する - 松井彰彦『市場って何だろう 自立と依存の経済学』(ちくまプリマー新書)雑感 -

2022年04月11日

書評
経済学
松井彰彦
B07G96G4LS

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 市場という単語を見るととてもぎょっとする。弱肉強食、拝金主義、結果至上主義という単語も同時に頭に浮かぶし、冷酷な雰囲気が漂うからだ。そしてこの市場に参加できないもの、排除されるものは無価値であり、社会に役立たないものとして考えられるかもしれない。他方で市場が役立つのも事実であることは認めざるを得ない。われわれの社会が便利になり、様々なモノやサービスが使えるようになったのもひとえに市場というものがあるからだ。こうした市場についておもしろい見解を見せてくれるのが松井彰彦『市場って何だろう ── 自立と依存の経済学』(ちくまプリマー新書)である。[以下、「本書」と表記し、引用する際には頁数のみ表記する]。本書は「自立するためには依存先を増やすことが大切で、その依存先を適用してくれるのが市場だ。(11 頁)」ということを示そうとする。市場と依存という一見相容れないものがどのようにしてつながるのだろうか。

 第一部では市場に関する経済学的な説明が行われる。

 第一章では市場の性質が論じられる。われわれは一人では生きれない。たとえ一品狼であると自認している人でも、他人が作ったり運んだりしたものを食べている。人は他人と関わりながら生きている。そのかかわりには顔が見える関係からそうでない関係も含まれている。前者はいわば共同体であり、後者は都市経済であろう。共同体では長期的な関係が無秩序な状態を克服したいが、都市経済では法とそれを作り守るための権力機関が必要となる。都市ができるにつれて、共同体で行われていたモノのやりとりは市場で行われるようになる。このようにして登場する市場の分析が経済学という学問の分析対象の一つとなっている。経済学という学問は自己本位の個人を仮定して議論をすすめるので利己心を正当化するように思われるかもしれないがそうではない。本書ではアダム・スミスを援用しながら、利己的ではなく他人にも関心をもつという人間観のうえで、人間の営みを考える学問なのである。

 第二章では市場をより深く論じる。ここでは経済学の基本的な話題である比較優位をメインに論じながらグローバル市場によってわれわれの生活が豊かになっていくことが論じられる。

 第三章では「お上」ともよばれる政府も市場のプレーヤーであることが論じられる。政府が行う政策は他のプレーヤー、たとえば民間の経済主体の影響を受けるし、両者の間に相互作業が発生しているのなら、民間は政府の行動を読むときに自分たちの政府への影響を考えないといけなくなるし、政府の側でもその内部で様々な駆け引きが行われているであろう(49 頁)。こうした読み合いが発生するところではゲーム理論による分析が必要となる。経済学では顔が見えない取引である市場理論と顔が見える取引であるゲーム理論とが重要になっている。市場理論では各人が市場とのみつながる「市場対個人」なのにたいして、ゲーム理論では顔が見える取引関係の長所も短所も考慮しなければならない。本章ではインフレや国債といったケースを紹介しながらゲーム理論による分析を紹介している。

 第四章では医師の偏りを是正するためのマッチング理論が紹介される他、大震災における援助体験をふまえながら「公」と「私」の協力関係の必要性を論じる。

 第五章では談合やカルテルといった不当な要素のない健全な競争を実現するためにはどうすればよいかが論じられる。本章では課徴金減免制度を参照しながら、この制度が企業にコンプライアンスを促す「囚人のジレンマ」の応用例であることが解説される。ここまでは比較的オーソドックスな経済学の新書の内容であるといってもよいであろう。本書の特徴は続く第二部において際立ったものになっている。

 第二部では市場が「ふつう」の人々を想定している。この問題点を論じる。

 第六章では「ふつう」の人のために市場で「ふつう」ではない人がどのような問題に直面するかを論じる。障害者、制度の隙間に落ちてしまう難病患者などに焦点が当たる。「改革は大切だが、社会制度の隙間に落ち込んでいる人に光が当たらなければ、何のための改革かわからない。一部の人を切り捨てる社会はそれ自体で貧しい社会である。繰り返そう。難病問題は社会のごく一部の人たちだけの問題ではない。私たちは歳もとるし、病にもかかる。難病も私たち全てがかかり得る病なのだから (p.122) 」

 第七章では偏見や差別が論じられる。市場では差別や偏見を助長してしまうのか。本章ではケネス・アローの「統計的差別」という考え方を紹介する。たとえば経営者が白人と黒人の二人の候補者のどちらか一人を採用するときに、たとえ黒人にたいするネガティブな感情をもっていなくても、過去の経験や統計的データ(存在するかは別にして)から白人のほうが生産性が高いと予測し、白人を採用するとしよう。その場合、経営者は偏見をもっていなくても統計を見ることで差別的な取り扱いをすることになる。こうした偏見・差別もゲーム理論で説明することができる。たとえば家事の分担では「家事は男性がやるのではなく女性がやるべきもの」という価値観の色眼鏡やそこからもたらされる心理的コストを含めて「家事の分担ゲーム」を行うと男性は「家事をやらない」ほうがよく女性は「家事をやる」ほうが望ましくなってしまう。こうした人間が持っている「心」が世界、社会状態を作ってしまうことが説明される。

 第八章では自立と市場の問題を事例を交えながら論じている。たとえば母親の協力のみに依存している障害者が上京し、数十人の支援者に養成しながら生活していることもある意味「自立」なのである。特別な一人に頼ることなく、ゆるいつながりで形成された支援の市場ががここにあるのだ。(139 頁)。他にも養護学校を訪問した際の著者の体験談をふまえながら「ゆるいつながり」が紹介される。

 第九章では市場が様々な人々を輝かせることを具体例を交えながら説明している。転職市場や学校に馴染めない子供たちが通う塾、障害者とアート市場の出会いなどである。心温まるエピソードが豊富で、様々なところで人々の交流が行われていることを知ることができる。

 以上が概要である。このように本書は依存が一つであることのリスクと依存先を増やすことによってそれが解消されるかもしれないことを論じている。

 しかしながら、本書は一冊の本として見るとやはり欠点がある。それは経済学的な理論と「自立とは依存先を増やす」という話がどうつながるのかがわかりにくいことだ。このことは前半が比較的学術的な説明をしているのに対して、後半が著者が実際に見聞きした体験談やエピソードによって論じられているという構造もその不明瞭さを助長しているようにみえる。たしかに依存先を増やすことによって自立につながったという成功例が多くあることは否定しない。しかし、その仕組みがどのようになっているのか、そしてそれが達成されるにはどのようなアプローチが有効なのかは明示的には論じられなかったようにおもえる。

 このように本書は一冊の本として経済学を学ぶというのは不向きであるが、経済学からは除外されているテーマを拾い上げようとしているところはやはり評価できる。そうしたポイントを把握した上で読んでいくのなら、本書は興味深い読書体験を与えてくれるかもしれない。

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