道徳について考えるのは必ずしも倫理学だけではない。進化論や心理学などの手法を用いて道徳を考える道徳心理学という分野が存在する。こうした手法は経験論的なデータを活用することもあって従来の倫理学では与えられないような知見を与えてくれる。しかしながら、どうしてもそうした分野で語られる道徳なるものが「他人に利益を与える」とか「互恵性から生じる」という形でかたられすぎな感じもするのが筆者の意見である。今回紹介するトマセロ『道徳の自然誌』(勁草書房)はそうした道徳心理学の分野のなかでもかなり独自の路線を追求している。以下ではかんたんに内容を紹介し、最後に少しコメントをしたい
まずは「第一章 相互依存仮説」から見てみよう。ヒトの動特性には二種類ある。一つは慈悲のように自己犠牲的な動機に基づいて他人を助けようとするものであり、もう一つは公平、正義といった動機に基づき全員が利益を得られる方策を探し求めるものである。この二つは同情の道徳性と公平の道徳性ともいえる。同情は哺乳類にもみられる基礎的なものである一方で、公平という道徳性はヒトに限定される複雑なものである。本書は共感と公平の両方からヒトの道徳性の出現を進化的に説明することにある。その説明の一つの仮説として提案されるのが相互依存仮説である。これによれば問題になっている進化は協同という段階と文化という段階の二つの段階を経て登場したというものである。第一の段階では初期人はパートナーと協力しなければ死んでしまう状況にあり、同情を血縁個体を越えてパートナーにまで拡大したのである。この段階で初期ヒトは共志向性を進化させ、パートナーと協同目標を追求できるようになった。これによってヒトはパートナーが互いに尊重し合うことを可能になり、お互いが協同する共同コミットメントを築くようになる。これはいわば「わたし」に優先する「わたしたち」の発生であり、そこでなされるのは二人称的の道徳である。
もう一つの段階は規模が大きくなることによって発生した。現生ヒトは部族レベル集団の規模で「わたしたち」を作用させるために集合志向性という新たな認知を進化させ、文化、規範、制度を作りだすようになったのである。この段階の特徴は集団のメンバーは道徳的アイデンティティの一部として社会規範に従って、それを強制する義務感を感じているという点にある。上記の二つの段階を考慮すると、ヒトは少なくとも三つの道徳性に関係している。一つ目は単純な血縁個体や友達に対する協力的傾向、二つ目は協同という共同道徳性であり、三つ目は文化規範のような集合的道徳性である。こうした道徳性は対立しあうし、ある種の道徳的ディレンマを生み出すかもしれない。なのでこうした道徳性が複数あることはそれぞれ異なる問題に対処するために生み出された結果なのであるということは驚くことではないであろう。本書はこのような見通しのもとでどのようにしてヒトがそうした道徳性を獲得していったのかを語る「自然誌」である。
「第二章 協力の進化では」類人猿には同情の道徳性が見られるものの、その段階にとどまっていること、この段階でみられるような情動的互恵性は公平や正義ではないことが論じられ、「第三章 二人称の道徳性」ではヒトの道徳性が論じられる。ここで重要になるのは相互依存である。たとえば幼い子どもは助けを必要としている相手を自分が助けた場合も、第三者が助けた場合も等しく満足する。重要なのは互恵性ではなく単に相手が助かってほしいという相手への関心、幸福への配慮のみがあることだ。このことは相互依存の観点からうまく説明できる。このような同情的配慮の拡大がヒトが独自の道徳性を抱くのに必要な第一歩であった。もう一つヒトの道徳性を形成する重要な要素として義務感に基づく公平性がある。これについては共同志向性という認知プロセス、二人称の主体という社会的プロセス、共同コミットメントという自制プロセスという心理プロセスが説明される必要がある。こうしたプロセスを経て獲得される二人称的な道徳こそが公平を生み出す第一歩となる。
「第四章 「客観的」道徳性」初期ヒトに備わっている二人称の道徳性がどのようにして集団志向的な道徳性になったのかを説明する。ここでも三つのプロセスが存在し、それぞれ集合志向性、文化的主体、道徳的自己統制である。とはいえゼロからのスタートとなるわけではなく、既にもっていた二人称的な道徳性を現生ヒトが文化的生活様式に合わせていくという流れになった。とはいえ、これは単にその拡大範囲が広がるという意味で量的な変化にとどまるのではなく、集団を機能させるのに十分なほどの客観化された道徳性を獲得することになる。もちろん、こうした文化的道徳性は保守的であるし、集団が大きくなりメンバーが変わることで誰が特定の文化的なメンバーなのかはっきりしない場合もある。しかし、本書によれば同情と公平を構成するものとしないものについて、そして誰が道徳的コミュニティーのメンバーであるかどうかについての共通合意があれば道徳的ディレンマを解決する助けになるのだという。
「第五章 協力+(プラス)としてのヒト道徳性」では本書の説明の独自性が論じられる。ヒトの協力を説明する際に進化倫理学、道徳心理学、遺伝子と文化の共進化という説明がある。それらに対して本書が提案する理論は小集団と文化的な集団という段階ごとにやりとりが区別されることや、その段階ごとに個人が獲得するコミットメントの違いについて触れることでより包括的な理論になっている。
以上が本書の内容についての素描である。本書は比較心理学などの手法を用いながら人間がどのようにして道徳性を獲得してきたのかを描いているが、ところどころで哲学者のテクストが引用されるのも興味深い。そしてその引用が権威づけや表層的なものではなく、本書の議論に組み込まれていることも驚くべきことであろう。哲学者からの引用がとくに彼ら・彼女らの主張が時代遅れであるものを小馬鹿にするか、あるいはまるで現代科学ではわからない真理であるかのように称賛されるかの二択が多いなかで本書のバランスのとれた記述は特筆すべきものがある。
本書のアイデアは何度も繰り返されるように比較的シンプルでわかりやすいものの、議論それ自体はついていくのが大変なので何度も読み直す必要はあるかもしれないが、それに見合うだけの価値を与えてくれる良書である。