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素晴らしき司法の独立とその現実 - 森炎『裁判所ってどんなところ?―司法の仕組みがわかる本―』雑感 -

2022年01月24日

書評
法学
森炎
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 今回紹介するのは森炎『裁判所ってどんなところ?―司法の仕組みがわかる本―』(ちくまプリマー新書)[以下、「本書」と表記する]である。本書の概要は次のとおりである。

 「第一章 日本の裁判所はいつからあるか」では日本の裁判所の歴史が論じられる。「遠山の金さん」のイメージで語られるお奉行が活躍する日本の律令制から明治のはじめに西洋法制を取り入れた日本は裁判所の歴史がまだ浅い。裁判所が重要であるのは政治権力から独立して中立的な立場にあること、すなわち司法権の独立があるからだ。この点で遠山の金さんのような政府側の人間が行うのは裁判ではあるけれども中立ではないので「司法権」がない。日本では明治の半ばにあったロシア皇太子が日本人巡査によって障害を負わされた大津事件が大きな転換点となる。ロシアの報復を恐れた日本政府は裁判所に死刑を求めるものの裁判所は圧力に反し、死刑ではなく無期懲役の判決を出した。この出来事は司法権の独立を象徴するものであった。戦後にはアメリカ型の司法が導入され、立憲君主制から民主政へと変化し、国民の人権保障を憲法によって保証することやそれに伴う違憲立法審査権が裁判所に与えられた。

 「第二章 裁判所の中はどうなっているか」では裁判所の法廷の構造や裁判官、裁判事務に携わる書記官、事務官について説明される。法廷は厳粛な場であるので写真撮影、飲食禁止などのルールが徹底されている。また裁判は公権力の行使であるので人々が監視できるように公開されている。興味深いのは裁判はこのような公開の場で行われるという公開的な側面もあると同時に、司法権の独立のために合議制の場合には複数の裁判官が密室で評議を行うという秘密主義的な側面もあることだ。こうした束縛が課される裁判官は比較的給料が高く設定されているものの抱える仕事量の多さや勤務する裁判所に居住しなければならないなど様々な制約があることも論じている。

 「第三章 裁判所にはどんな種類があるか」では簡易裁判所、地方裁判所、高等裁判所、そして最高裁判所といった「縦」の関係を論じ、次にそうした「縦」の関係からは異色である家庭裁判所の役割、われわれの身近にある簡易裁判所の役割について論じている。日本の裁判制度は三審制度を基本にしている。とはいえこれは裁判を三回繰り返すという意味ではない。二回目の控訴審では証拠をあらたに付け加えることしかできず、三回目の上告審ではさらに厳しいことに証拠を付け加えることができない建前になっておりその前の判断が間違っているかどうかのチェックするだけになる。このような三審制のなかでトップに位置する最高裁は憲法判断や判例変更などを事実上唯一行えるという点で特別であるが、裁判で当事者がもっとも力を出しきらなければならないのは第一審である地方裁判所(地裁)での裁判ということになる。これら以外にも裁判所は存在し、法律的判断とあまり関係がない家庭裁判所や小学の民事事件や軽微な刑事事件を迅速に処理するための簡易裁判所などがある。このような裁判所は社会福祉の観点や「裁判を受ける権利」から重要なものであることを論じている。

 「第四章 憲法は裁判所についてどう定めているのか」ここでは司法の独立をあらためて議論している。モンテスキューによる三権分立、つまり国家の権力を立法権、司法権、行政権(執行権)に分け相互に監視させるというモデルの要点は司法が政治権力(立法、行政)とは異なる非政治的な権力を有している点にある。戦前の日本では行政府(司法省)が人事権を乱用し裁判に影響を及ぼしていた。戦後は日本国憲法において司法行政権を裁判所に帰属させ、かつての司法省は廃止され法務省となった。このように司法の独立性を重視している。他方で疑問に思うのが行政機関が終審(三審制の最終審)として裁判できないという憲法七六条第二項第二文であろう。というのも一審や二審では行政機関が裁判することを認めているからだ。そこで視点を変えて裁判を受ける権利から考えることを著者は促す。たとえば技術的な知識などの専門的な知識が必要となる場合には裁判所よりも行政機関に裁判させるほうが国民にとってもメリットがある。

 「第五章 裁判所という世界の美しい理念」では裁判所における論理の重要性を論じている。裁判所では世の中で起こる紛争を様々な証拠から評価し、論証を駆使しながら事実を認定しようとする。こうした論証を重視する態度は、判決において法的三段論法と呼ばれる形式が用いられることからも理解できる。このような論証を重視するモデルは真理モデルということができる。このモデルの利点は多数者の意向しか汲み取れない立法府が少数者を圧迫する「多数者の専制」に陥ることを防ぐことにある。裁判所は民主主義的な基礎をもたないが違憲立法審査権を行使することができるのはこの意味で重要なのである。

 ここまで裁判所の素晴らしき理念が紹介されてきたが、「第六章 裁判所をめぐる理想と現実のギャップ」では理念通りにはいかない部分を紹介している。たとえば、民事裁判のスピード化、書面主義は国民の裁判を受ける権利や口頭弁論する機会を損なっている。また刑事裁判でも有罪率の高さは問題視されており事実上検察による裁判をしている状態になっている。こうした問題点に対して著者は裁判員制度、労働審判員制度を挙げながらハーバーマスが提唱する「合意形成型討議モデル」に可能性を見出している。

 ここまでが本書の概要である。本書の特徴であるがまず難易度の高さが挙げられる。細かい手続きの話や組織間の正確な関係の記述など法学に親しみがない私はついていくだけで精一杯であった。また、章立ては一見形式的に見えるが内容が被ることもあり通読するのを妨げている印象がある。しかしながら本書の一貫的なテーマである「司法の独立」とその意義については重要性が伝わる内容であり、そうした理念があるにもかかわらず現実の司法が形骸化している側面もあわせて記述するなど司法の意義と問題点を知るための良書であるのは間違いないであろう。

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