SHEEP NULL

村上作品のいいとこ取り - 村上春樹『カンガルー日和』(講談社文庫)雑感 -

2022年01月17日

書評
村上春樹
B07FY5TQCZ

Amazon リンク

 最近紹介する本を読むのも文章を書くこともスランプ気味なので困ったときの村上春樹ということで今回紹介するのは村上春樹『カンガルー日和』(講談社文庫)である(以下、「本書」と表記する)。個人的には村上春樹の短編集のなかでも爽やかであまりドロドロしていない話が多いので何も読みたくない気分のときに読むことが多い。「カンガルー日和」というタイトルも可愛らしく佐々木マキによる挿絵もおしゃれで素敵である。いくつかお気に入りの作品を簡単に紹介しよう。

 表題作の「カンガルー日和」は「僕」と「彼女」がカンガルーの赤ちゃんを見に行くだけの話なのだが、この短編集のオープニングに相応しいなんともいえない夏の休日の空気を感じさせてくれる。「4 月のある晴れた朝に 100 パーセントの女の子に出会うことについて」は男女の出会いについてまどろっこしく語っている。どうしようもない小話がメインであるが、それでも読ませてしまうテンポ感はやはり魅力である。

 「彼女の町と、彼女の綿羊」は『羊をめぐる冒険』を彷彿とさせる作品だ。札幌を訪れた「僕」はテレビ番組に出演するどこかの寂れた町の役場に務める女性について考える。畜産に力を入れつつも衰退していくことを止められない町の様子について彼女は精一杯に語っている。村上作品特有の地方への冷ややかな視線があることは否めないものの、その視線と主人公の「僕」の生き方とがなにかしらの関わりがあるということが仄めかされている点が不思議な読後感を残す。「あしか祭り」も村上作品でおなじみの謎の存在が出てくる話だ。この作品ではあしかが登場する。あしかはひたすら意味のわからないレトリックを披露しながら精神的援助という名の寄付を求めてくる。説明もなしに登場するあしかの不思議な存在感と作品内ではそれほど不思議がられていないあしかの空気感がおもしろい作品である。

 「5 月の海岸線」はこの短編集のなかでも個人的にベストな作品だ。友人の結婚式のために「街」に戻った主人公の内面が描かれる。思い出の中の街の描写の美しさ、久しぶりにきた街のなんとなく馴染めなくぎこちない感じ、海がもたらす死の匂い。こうした要素が浮遊感のある文体で紡がれている。

 「駄目になった王国」は友人のハンサムでとても素敵だった男性を偶然見かけることになったが 30 を過ぎた彼の物悲しさを知ることになる話である。村上作品に出てくるハンサムな友人というとどうしても身構えてしまうが、本作ではとくに衝撃的な展開が訪れることもなくただただ物悲しさだけが淡々と綴られる。友人が仕事相手の女性に誠実に語れば語るほどその不誠実さが見えてしまうシーンには極上の悲しさとやるせなさがあった。

 「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」は村上の体験談ではないかと思わせる話だ。両脇に線路が通る三角地帯にポツンと建つ一軒家を家賃が安いからという理由で借りた主人公夫婦と猫だったが線路の騒音は想像以上でお互いの会話が聞こえなくなることもあるぐらいだ。そんな貧乏生活であるものの冬の寒い日には夫婦と猫とで布団の中で温め合ったりストライキがある春の日にはあたたかい日差しのもとのんびりできるなど素敵な場面がいくつもある。

 「スパゲティーの年に」はタイトル通りスパゲティーについての話である。村上春樹といえば「やれやれ」と「パスタ」のイメージがあるかもしれないがおそらくパスタよりもスパゲティーと書くことが多いのではないか。ところで興味深いことにこの短編ではスパゲティーは孤独とともに語られる。村上春樹にとってスパゲティーは孤独な料理なのである。

基本的には僕は一人でスパゲティーを茹で、一人でスパゲティーを食べた。何かの折りに誰かと二人で食べることもないではなかったが、一人で食べる方がずっと好きだった。スパゲティーとは一人で食べるべき料理であるような気がした(164 頁)。

 たしかにスパゲティーは孤独な料理かもしれない。冷たいフライパンにオリーブオイルを入れてニンニクを炒め、沸かしたお湯にパスタを加える。次にパスタ湯をフライパンに加えて乳化したソースを作り、茹で上がったパスタを絡めてできあがり。それなりに手間がかかるうえには数人分を作ると味がぼやけるので結局自分ひとりのために作ることが多いなと自分の生活を振り返って気づいてしまった。

 以上がおすすめの短編である。ピックアップした短編は比較的村上春樹らしさが出ているものだとおもう。読み直して気づいたのは、村上作品における文体のテンポの良さ、地方や故郷にたいする複雑な態度、丁寧な生活描写に潜む孤独などである。

 順に説明していこう。まず文体についてであるが、そのテンポのよさによって死を扱う作品も不条理な笑いを誘う作品も等しく村上作品になってしまう。この文体は一見軽薄で世間から浮いたような視線でありながらもテーマに近づこうとする意志のようなものも見られる。村上作品の文体のテンポの良さはこうした一定の距離感覚があるからだと個人的には思う。次に地方や故郷が村上作品では悪く描かれがちであるが、そうした描写には登場人物が「何かを捨ててきた」という過去と合わせて記述されることだ。捨て去ったものとしてのメタファーとしての地方や故郷という観点から作品を読み解くことも重要かもしれない。最後に丁寧な生活描写と孤独との関係である。淡々とした生活の描写は孤独との戦いの描写でもある。スパゲティーをきちんと茹でて、ソースも作り、サラダと紅茶を添えて食事をする。誰のためでもない自分のためのささやかな儀式である。一人だからといって適当にやってしまうのではなく、まるで誰かといるかのように丁寧に生活をすること。これが孤独に対する治療となるのか、あるいはむしろ孤独を深めてしまうものなのか。この観点も他の村上作品を読む際の参考になりそうである。

 本書の特徴は村上春樹の短編集のなかでも比較的読みやすく、また彼の作品を読む際のキーとなる概念も出てくることにある。初めての人もファンの人も読み直すと発見があるかもしれない。

B07FY5TQCZ

Amazon リンク


Profile picture

© 2022 SHEEP NULL