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倫理学をやってみる - 児玉聡『実践・倫理学』(勁草書房)雑感 -

2022年01月10日

書評
倫理学
児玉聡
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 近年、国内における倫理学をめぐる状況はかなりの進展を見せているようにおもわれる。まず指摘できる代表的な流れとしてメタ倫理や道徳心理学といった分野における重要な文献が出版されたことが挙げられる[佐藤『メタ倫理学入門』(勁草書房)、太田編『モラル・サイコロジー』(春秋社)]。こうした文献が海外の研究書の翻訳ではなく日本の研究者によって書かれたということからもわかるように日本での倫理学研究を行う研究者の層も厚くなってきている。もちろん、翻訳の面でも重要な動きがあり、徳倫理という比較的新しい分野における重要な著作の翻訳や古典的な海外の重要論文の翻訳が定期的になされており常にアップデートがなされている[たとえばアナス『徳は知なり』(春秋社)]。このように倫理学における最新の知見や情報にアクセスするための環境は比較的向上しているようにおもわれる。

 しかしながら「ではそもそも倫理学は何を目指しているのか?」という一般的な読者、とくに哲学、倫理学といったものをよく知らない人が抱きがちな問題に直接答えるような本についてはまだ状況は十分ではないとはおもわれる。たとえばピーター・シンガーが『実践の倫理』や『動物の解放』などの著作で述べたような主張は単に倫理学という学問にたいするインパクトだけではなく現実社会へのインパクトをも有していることは注目しなければならない。シンガーの動物解放論や効果的な利他主義といった主張は哲学的にも興味深いだけではなくわれわれの行動を変えようとさえすることを目指している。このような実践的でアクティブ的なものについてこそ倫理学は語らなければならないのではないか。

 今回紹介する児玉聡『実践・倫理学』(勁草書房)[以下、「本書」と表記し引用する際には頁数のみを標記する]はまさにそうした問題に応えるような画期的な本であると言える。著者が述べるように本書は倫理学という学問の重要な知見や学説を紹介するというよりも倫理学の考え方を身につけたいと思う人々に向けて書かれたものである(i 頁)。つまり倫理学を実際にやってみようというスタイルの本なのである。倫理学をじっさいにやってみることはなぜ大事なのだろうか。上で紹介した倫理学やメタ倫理学の本でもわれわれが実際に自分で考えてもらうことを推奨することは珍しくない。われわれはそうした本に登場する主要な学説や概念について学んだのちに、そうした学説の利点や欠点はなにかとか、そうした学説がわれわれの経験とどのような関係にあるかといったことを議論する。ここで重要なのはそれでもまだこの段階では倫理学という学問内部での議論しかなされていないことである。現実的で具体的な問題を直接扱わないことには倫理学が実践されることにはならないのである。

 ここで本書の目次を見てみよう。たとえば「第一章 倫理学の基礎」では倫理学のオリエンテーションがなされる。結合双生児を手術するか否かといった事例を引き合いに出しながら倫理学とはジレンマ(選択肢のいずれをとっても問題になりそうな解決が難しい状況)を解決するための合理的方法を模索する学問であることが紹介される(4 頁)。また倫理学とはわれわれがどのような選択肢をとるべきなのかということを探求するので規範的な学問であること(8 頁)、そして倫理的判断をするさいには根拠が重要であるということが論じられる(14 頁)。

 「第二章 死刑は存続させるべきか、廃止すべきか」からいよいよ本番である。筆者は死刑の存廃について賛成論と廃止論の根拠をそれぞれ紹介しながらその根拠が適切であるかを吟味していく。そうした作業のなかで倫理学的に考える際の重要な概念やツールも紹介される。たとえば世論に訴えるような「衆人に訴える誤謬」(24 頁)や最高裁の判決だけを参照するような「権威に訴える誤謬」(26 頁)のような倫理的な議論を行う際に陥りやすい誤謬が指摘される。また実践的三段論法と呼ばれる価値判断を導く推論形式を利用することによって倫理的議論における主張と根拠を検討するといった手法も紹介される(41 頁)。

 「第三章 嘘をつくこと・約束を破ることの倫理」では病名告知のケースを参照しながら「功利主義」と「義務論」という基本的な倫理理論が導入される。義務論の考え方ではどのような帰結が生じるかにかかわらず義務を守らなければならないとされる(65 頁)。このような厳格な義務論的な倫理にはもちろん問題もある。たとえば医師が第三者の危険を予測できるのであれば守秘義務よりも危険を警告すうる義務のほうが主流であることや行為の結果を予測できる場合には責任があること、たとえできないとしても誰かが危険な目にあったときには自分には責任はないとは言えないことが示される(70 頁)。他方で功利主義の考えでは行為の正しさは結果のよしあしのみによって決まる(70 頁)。そして結果において重要なのは快苦であり病名告知の際には告知をした場合とそうでない場合の患者および家族、医療者の快苦を比較したうえで告知の是非を決めることになる。もちろん、功利主義にも問題がある。たとえば功利主義の発想では全体の幸福に役立つならば約束や正直といった義務を破ってもいいという状況がありえるかもしれない。

 以下、第四章から第十章へと自殺と安楽死、喫煙、ベジタリアニズムといった多種多様なトピックを扱いながら本書は展開していく。ここではすべてを紹介できないので本書のおおまかな特徴についてコメントしておこう。まず指摘できるのは現実の具体的なケースを扱うので実際にあった事件の詳細についての記事や各種データが提示されていることである。これによって読者はしっかりと現実に即した議論を行うことが可能となっている。次に指摘できるのはこうした現実の問題にたいして古典的な哲学者の議論や主要な倫理学の理論やアイデアが効果的に導入されていることである。そのため古典的な哲学者の議論が現代の諸問題にたいしてどのようなインパクト(あるいは限界)をもっているのか、現代倫理学の倫理理論が現実にたいしてどのような有効性をもっているのかが見定めやすくなっている。そして現実の諸問題にたいして筆者は自分自身の見解や立場を述べながらも読者に自分で考えるためのポイントをわかりやすく示していることも良い点である。

 本書はわれわれが実際に現代的な諸問題について倫理学的に考えるためのよいお手本となっている。さらにいえば単なるお手本にとどまらず「ベジタリアニズム」の議論を読んだ読者によっては今後の食生活を変える可能性もある実践的な本である。倫理学に興味がなくても「どう生きるべきか」を考えるすべての人に読んでもらいたい。

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