小説とはなにかというのは難しい問題であるが優れた小説というのは読者にある種の読後感を残すものであるいというのはそれほど的はずれなことではないであろう。それは一種のポジティブな感情かもしれないし、あるいはネガティブな感情かもしれない。どちらにせよ読者になにかしらのメッセージが伝わりその結果として読者の心を揺さぶることができる小説が魅力を有しているということは明確である。他方である種の読後感を得るもののそれがどういう気持なのか感想なのか気持ちで表現することも文章として書き残すことも難しいタイプの小説がある。今回紹介するのは村上春樹の短編集に収められている「納屋を焼く」(村上春樹『蛍・納屋を焼く・その他の短編』(新潮文庫)所収。引用する際には頁数のみ記す)はまさにこのタイプの小説である。物語の力点はどこにあり、そしてどのように語られているのか。現在このように感想を書き連ねている私も混乱の真っ只中にあるのだがいつかこの迷路から出れると信じて書き勧めてみようとおもう。
まずは物語のあらすじから簡単に紹介しておこう。主人公の「僕」はとあるパーティーで「彼女」と知り合う。「彼女」と親しくなった「僕」は月に数回会って話す以外のことはしなかったが「彼女」と交流することはとても穏やかな時間であった。ある日「彼女」は海外旅行に行ってしまう。その後帰ってきた彼女の隣には恋人である「謎の男」がいた。「僕」「彼女」「謎の男」の三人による不思議でとくになにもおこらない交流が続いた。ある日三人が「僕」の家でくつろいた。酒を飲みすぎた「彼女」が眠ってしまった直後「謎の男」と二人っきりになったときに彼が突然こういったのだ。「時々納屋を焼くんです」。謎の男が語るには誰も使ってなさそうななんてことのない納屋を焼くことがあるのだという。この言葉を聞いた「僕」は最初は気にしていなかったもののだんだん納屋というものが気になり始める。近所にある納屋を確認し、それらを回るルートを日課のランニングコースに加えた「僕」はランニングをする傍ら納屋が燃えていないかチェックする日々を送ることになる。結局、近所にある納屋は燃やされることなく月日は過ぎていく。次に会ったのはあるクリスマスシーズンのことであった。なんてことのない雑談のあとに「僕」は納屋のことを尋ねると「謎の男」は燃やしましたよと答える。その後、「彼女」と連絡がとれないことやいったいどこの納屋を燃やしたのかと問いかけるが有耶無耶にされる。結局、「彼女」はいなくなってしまい「僕」は今でも納屋を通るコースを走り続けている。
多少長くなってしまったが以上があらすじである。この物語にはいわゆるオチというものがない。ただ人と人が出会い、そして誰かが消えてしまうそんな物語である。もちろん、この物語における「納屋を焼く」を殺人のメタファーとして考えることはできるであろう。つまり、「謎の男」が「彼女」を殺してしまったということであり、「謎の男」は今までもこれからも女性を殺していたのだという解釈である。この解釈はシンプルでありながら強力である。「彼女」が消えたことも「謎の男」の奇妙な雰囲気や言動もすべて説明できるからだ。とはいえこの解釈ではなぜそのネタが作中でバラされなかったのかという問題があったり、「納屋を焼くということが殺人のメタファであることで何が表現されていたのか」という点で不十分であるという批判も考えられるであろう。
ここで興味深い作中でのやりとりを詳しく見ていこう。「謎の男」がモラリティーについて語る次のようなやりとりである。
「…いいですか、僕はモラリティーというものを信じています。モラリティーなしに人間は存在できません。僕はモラリティーというのは同時存在のことじゃないかと思うんです」
「同時存在?」
「つまり僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチュニスにいる。責めるのが僕であり、ゆするのが僕です。それ以外に何がありますか?」(71 頁)
モラリティー、すなわち道徳の問題がこのように表現されるのは興味深いことだ。道徳の問題についてまず考えられるのは自分と他人をめぐる問題であろう。つまり「自分が道徳的にすべきことはなにか」という問題と「他人が道徳的に賛成したり反対したりするものはなにか」という問題が表裏一体の関係であるという考え方である。この場合、われわれが道徳的に何かを行う、たとえば人助けをするといったことは他人の目線からも同時にジャッジされる事柄になる。他方で自分がジャッジする主体でありながら同時にジャッジされる対象でもあるという意味で自己に関わるだけの道徳の問題もありうる。無人島に自分しかいなくても道徳の問題は生じるのである。この場合、自己はジャッジする側とジャッジされる側とに分裂することになる。
となるとこの物語は「僕」と「謎の男」に分裂した自己をめぐる罪と赦しの物語と考えられるかもしれない。重要なのは彼女が消えてしまった、どこかへいってしまったということだろう。この去ってしまった女性というモチーフは村上春樹作品の定番であり『女がいない男たち』という短編集はまさにそうしたモチーフだけの作品が集められている。本作も「彼女」がどこかへ行ってしまったことが主題でありそれについて「男」が「僕」と「謎の男」という二側面から語られることになる。彼女が去ってしまったのは「謎の男」的な部分のせいなのであろうし、「僕」がそのことについてどのようにジャッジするのかというテーマがこの物語に横たわっている。結局のところ「僕」はジャッジすることなく「謎の男」から与えられた「納屋」というイメージにひたすらとらわれることになる。まるで納屋について考えていれば去ってしまった「彼女」がそこに留められるかのように。
「彼女」がパントマイムについて語るセリフが印象的である。「蜜柑むき」のパントマイムをする彼女はコツとして「そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ(56 頁)」と語る。既に存在しないものをあると思いこむのではなくて存在しないということを忘れ去ること。しかし他方でそれに囚われ続けること。エンディングで「納屋」を回りながら走り続ける「僕」がそこから抜け出せる日はまだ来ないのかもしれない。