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見えづらい多様性と向き合うために - 村中直人『ニューロダイバーシティの教科書: 多様性尊重社会へのキーワード』 金子書房雑感 -

2021年12月13日

書評
多様性
村中直人
B08W8YBCZL

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 今回紹介するのは村中直人『ニューロダイバーシティの教科書: 多様性尊重社会へのキーワード』 である(以下、『本書』と表記し引用する際には頁数を標記する)。

 第 1 章ではニューロダイバーシティとはそもそも何かが論じられる。ニューロダイバーシティとは neuro と diversity から成り立つ合成語であり「脳多様性」、「神経多様性」とも訳される用語である。興味深いのはこの言葉が「自閉症スペクトラム障害」と深い関係を持つ言葉であることは確かなのだけれどもこのニューロダイバーシティという単語は少数派だけでなく多数派も含めたものであるということだ(3 頁)。ニューロダイバーシティという概念は自閉症スペクトラム当事者によって生み出され社会学者の注目を浴びたり当事者のコミュニティを中心とした権利運動としても広がることになった。ここでの「多様性」とは「生物多様性」と同じように自閉症を脳や神経におけるバリエーションの一つとして考えることである。そして当事者は「自閉文化」という言葉を肯定的に使うようになっていった。本書が重視しているのはこの自閉文化が決して比喩表現などではなくまさに独自の文化としかおもえない独自性をもっているということだ(8-9 頁)。ここで関係する文化としてろう者によるろう文化がアナロジーとして提示される。たとえば耳が聞こえないことや手話を用いることが互いの居場所を常に把握することや本名を重視しないといった文化を構成していることが指摘される。

 とはいえニューロダイバーシティという概念には問題はないのだろうか。第 2 章ではニューロダイバーシティという概念への批判を検討し応答がなされる。想定されている批判は次の三つのものである。第一にニューロダイバーシティの理念は神経的多数者と神経的少数者の違いを病理として考えないという非病理性を強調することにある。それゆえ「障害」「病理」というカテゴリーに属しているからこそ得られる支援のあり方を揺らがせるという批判だ。第二にニューロダイバーシティという概念の適用範囲である。先の批判との関連でいえばニューロダイバーシティとは医療的なケアや知的障害のないタイプの人に限られたエリートのためだけのものではないかという批判である。この論点は自閉スペクトラム以外の神経学的な少数者をどこまで含めるかという論点も関連する。第三にそもそも文化という発想はあるのかというものだ。こうした批判に対して本書は次のように答えている。まず第二の批判については冒頭でものべたとおりすべての人を包括するものであると答える(16 頁)。第一の批判にたいしては性的マイノリティが障害から状態群へと認識が変化していることに触れ自閉スペクトラムなどもそのような経路をたどるのが望ましいと提言する。しかしこの変化が起こるためには脳や神経由来の多様性が社会に理解されることが重要であるという(21 頁)。たしかに脳や神経の仕組みには不明なものが多いもの近年の脳神経科学や認知科学の成果を知ることはそうした自閉スペクトラムの理解に寄与するはずである。第三の批判にたいしては冒頭のろう文化の重要性をあらためて説いている。

 そもそもニューロダイバーシティという概念は最近になって論じられるようになったのだろうか。第 3 章では脳や神経由来の違いのメカニズムについて論じられる。脳という部位は近年の技術の発展によってその活動を計測できるようになった。こうした研究によって心理学や認知科学に脳神経科学的な裏付けを与えられ脳の仕組みは完全ではないものの徐々に明らかになってきている。こうした研究成果に成り立つ人間観は従来の常識とは異なるものかもしれない。たとえばわれわれは「ありのままの現実」なるものをみているのではなく脳内で作り出された映像を見ているという考え方がある。いわばバーチャルリアリティ的な考え方なのであるがこのように考えると他者の認識や他者の現実を理解しやすくなるのだという(34−39 頁)。こうした人間の内側のメカニズム、特徴は「特性」と呼ばれが、こうした特性はそれ自体では障害ではない。障害になるのは社会のあり方においてそうなっているだけなのである(たとえば色を見分けにくい特性は赤、緑、青で道路信号を区別する世界において障害になる)。このような脱医療化は少数者の生きにくさや困難への対応として治療とは異なる視点が必要であることを示唆している。「困難」「障害」にならない文脈や環境を提供する必要があるのだ。

 第 4 章では脳や神経の特異性に由来する認知の多様性が紹介される。本書がとくに重視するのは社会脳である。多数派は人間を特別扱いする脳の持ち主であることが赤ちゃんの習性などを通じて示される。赤ちゃんはベッドでおもちゃで楽しんでいても親が現れるととっさいにそちらに視線を向ける。こうした人への視線のような対人情報を扱う脳の働きを社会脳と呼ぶ。多数派がもっている社会脳の特徴は「相手が人間のときだけ働く(56 頁)」点に、すなわち人間を特別扱いする点にある。社会脳の違いから自閉症スペクトラムという現象は理解することができる。つまり少数派は人間を特別扱いしない。映画などを見ても人間の顔に集中しているのではない。そしてこれは関心や注意が欠如していることを意味しない。著者によれば少数派は人間ではなくものごとに関心が向くのである(66 頁)。以上が本書の重要な部分である。残りの章ではこうした特性をもつ少数派が教育・労働・家族に関わっていくかという実践的な問題が論じられる。

 本書はニューロダイバーシティという比較的新しい概念を紹介している。この概念の興味深いところはその対象は少数派だけでなく多数派も含むすべての人々であるという点であろう。この点でニューロダイバーシティは社会のあり方を抜本的に捉え直し多様性社会へ舵を切ることを促している。一方でニューロダイバーシティは本書でもたびたび触れられたようにその見えづらさが問題でもある。脳の特性を直接見ることはできない以上、われわれはじっさいに相手とコミュニケーションをやってみることでしか様々な問題に気づくことはできないのかもしれない。しかしながら本書で述べられたような知識が頭の片隅にでもあるのならそうした問題に対処できることもできるかもしれないという点で本書は読まれる必要がある。

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