SHEEP NULL

コーヒーが切り出す生活

2021年12月06日

エッセイ
コーヒー
B0991Y5W62

Amazon リンク

 寒くなってきた 12 月。コーヒー屋へと足を運ぶ。お店にはよく知っているコーヒー豆からそうでないものまで何種類か並んでいる。

「いつもはこれを飲んでいるのですが」と指で示す

「ありがとうございます」と店主が応える。

「季節の変わり目なのでなにか冬らしいコーヒーを」

「こちらのブレンドなどいかがでしょう」

ではそれでと 100 グラムの豆を購入する。途中ドーナツ屋が目に入った。店内に入りシンプルなものとクリスマス仕様のものを二つ買ってから帰宅する。

 コーヒーの淹れ方にとくに変わった作業はない。電気ケトルでお湯を沸かしている間に手挽きミルでコーヒー豆を挽く。砕かれたコーヒー豆の香りが立ち上る。手挽きミルは効率が悪く豆の挽き加減も難しいがお湯を沸かしている間にちょうど挽き終わるので時間の使い方がちょうどよい。挽き終わったコーヒー豆はフィルターをセットしたドリッパーに移しトントンとたたき表面をならす。電気ケトルが沸騰した合図を出す。まずはコーヒーサーバーにお湯を移しあたためると同時にお湯の温度を下げる。次はそれをコーヒーポットに移し替える。この作業をすることでお湯の温度が適温に下がるというのだという信念をここ数年もっている。クッキングスケールにコーヒーサーバーを置いてそのうえにドリッパーをセットして準備は完了だ。右手にコーヒーケトルを持ち左手を腰に当てる。「コーヒーを淹れるときは腕を動かすのではなく体全体を使うのだ」と念じながら抽出作業をはじめる。最初の一投はいつも緊張する。この一投で粉全体をふくらませるように適切に注がなくてはらない。「コーヒーを注ぐ。そのためだけに作られた」。右手に持つコーヒーケトルを信頼し最初の一投目。上手くいった。湿ったコーヒー豆は膨らみ土のドームを形成する。このドームをどう処理するか問題だ。ドームを崩さずに慎重に?それとも大胆に?などと考えているうちにドームが落ち着いてきたのでなめらかにお湯を入れることができた。そのまま目的の抽出量までひたすらお湯を注ぐ。深煎コーヒー豆 16 グラム、細挽きよりもすこし粗く、お湯の温度はおそらく 83 度、抽出量は 300 ミリリットル。コーヒーの抽出作業は数字で抑えるべきところとそうでないところをきちんとわけることに意味がある。

 「コーヒーを生活に取り入れてみよう」とおもったのはまだ大学生のときだった。それまでもインスタントコーヒーや缶コーヒーを飲んではいたし喫茶店やカフェでも注文したりはしていた。けれど珈琲豆を挽いて淹れたことは一度もなかったのである。きっかけはよく覚えていない。おそらく読んでいた雑誌の特集でドリップコーヒーがとりあげられていたのだろう。さっそくコーヒーサーバー、ドリッパー、ミル、フィルター、コーヒーケトルをネット通販で注文した私は届くや否や家にあったコーヒーの粉を使って淹れてみたのだった。粉は膨らまず味もとくに美味しいとはおもわなかったがコーヒーを淹れる作業はとても楽しいものであると感じていた。

 話を戻す。なんとか狙い通りに淹れられたコーヒーをマグカップに注ぎ、買ってきたドーナツを皿に並べる。コーヒーにはドーナツを組み合わせるのが個人的にはしっくり来る。コーヒーをまずは一口。ほどよい苦味のあとにまろやかさが残るほどよい酸味がある。ドーナツも一口。こちらも甘みと食べごたえがちょうどよいバランスだしコーヒーにも合う。この日のコーヒータイムは成功である。

 ハンドドリップをはじめると自分で淹れたコーヒーしか飲まないかというとそうでもない。ホテルのモーニングに出てくるような飲み放題のコーヒーも好きだし、コンビニで豆から挽いてくれるコーヒーも好きだ。スタバでドリップコーヒーにエスプレッソを追加で入れるカスタマイズも好きである。コーヒーの味や文化も好きだが日々の生活でコーヒーを淹れるという作業もこれまた好きなのかもしれない。

 コーヒーを淹れる作業はこだわろうと思えばどこまでもこだわれる。コーヒー豆のクオリティは言うまでもなくコーヒー豆を挽くミルやグラインダー、ドリッパーの形、サーバーの頑丈さ、抽出時間を図るためのタイマーと抽出量を図るためのスケール。最近はデザインもおしゃれになっていて家に飾るために欲しくなるものもあるくらいだ。

 このように書いてみるとコーヒーは生活のあり方として考えたほうがいいのかもしれない。休日に時間をかけて淹れるコーヒーも忙しい日にコンビニで買ったコーヒーも出先で濃いコーヒーを飲みたいとスタバで買ったコーヒーもすべて私の生活のあり方である。

 たとえばこれは私の話なのだが一時期コーヒーを淹れる作業がめんどくさくなってコンビニコーヒーばかり飲む日が続いた。当時は忙しかったというのもあるがどうしてもそういうゆとりを求めることも否定的だったようにおもえる。コーヒーはどうしても生活のあり方に絡め取られてしまう。ハンドドリップをする人なら「今日はうまく淹れらた」「イマイチだった」というような感想を持つだろう。テクニックの問題もあるかもしれない。コーヒー豆の管理がわるかった。温度をきちんと図っていなかった。いつもより挽目が荒かったなど数々の理由がおもいついてしまう。

 実のところコーヒーのある生活は神経を尖らせることも多い。コーヒー豆の管理はとくに億劫になることがある。だいたい二週間で飲みきってしまわなければならない。冷凍するなどの手段もあるが解答には手間もかかる。コーヒーの好みは人それぞれとはいうが自分に限っても時期が変われば味の好みも変わる。好きだったお店のコーヒーの味がなんとなく受け入れられない。いろいろ試行錯誤してなんだかんだでいつものコーヒー豆を買うということもよくある。今振り返ってみると忙しかったり余裕がなかったりした時期だったのかもしれない。

 コーヒーは正直な飲み物である。生活にとけこみながらも淹れる人の生活のあり方を正直に切り出す。コーヒーは生活を映し出す鏡である。生活を彩るためにではなく生活を見直す方策としてのコーヒーもあって良い気がした。

B0991Y5W62

Amazon リンク


Profile picture

© 2022 SHEEP NULL