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道徳を実験する - 亀田達也『モラルの起源』(岩波新書)雑感 -

2021年11月29日

書評
道徳
亀田達也
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 モラルというとどうしても人それぞれの問題だとおもわれてしまう。「正義は人それぞれ」「だれかの正義は別の人の不正義」といったフレーズはよく知られているであろう。また道徳や倫理というのは哲学者、たとえばアリストテレス、カントといった昔の人が考えるものであるというイメージもある。彼らが書いたものには現在の自然科学的知見や社会科学的知見からして誤った知識に基づくものもあり現代のわれわれが彼らの著書から道徳に関する知見を得るには壁があるようにおもわれる。

 今回紹介するのは亀田達也『モラルの起源』(岩波新書)である(以下、「本書」と表記し引用する際には頁数のみ)。本書はこうしたモラルを考える際の方法論として「実験社会科学」という学問領域を提唱する。実験社会学とは「経済学、心理学、政治学、生物学など、異なるバックグラウンドをもつ研究者たちが結集し、「実験」という共通の手法を用いて、人間の行動や社会の振る舞いを組織的に研究しようとする共同プロジェクト(pp. iii-iv)」のことである。このアプローチの利点は上記で挙げたようなモラルを扱う際の問題にうまく対処できることにある。社会科学や自然科学の知見を得つつ「実験」という方法によってモラルは解明できる可能性がある。以下では簡単に内容を紹介していこう。

 「第 1 章「適応」する心」では生物学の観点から人間の心を捉え直す。生態学や進化生物学の知見ではある生物がある環境での生活に適応していることをその生物の祖先種がその環境によって自然淘汰され進化を導いたことであるとしている。こうした適応の観点は動物だけでなく人間にも適用される。そして人間の身体だけではなく心もそうした適応の産物として考えることができる。では人間はいったいどのような環境に適応することになったのか。本書によればその環境とは人間が群れるということ、すなわち集団生活にある。集団のなかで暮らす人間の心は集団の複雑さにどう適応するかという課題を突きつけられるという霊長類学者のバーンの観察を紹介しながら人間の心理・行動メカニズムは進化的に獲得されているものであることを主張する。

 とはいえ人間の心が動物や昆虫と同じようなものなのだろうか。「第 2 章 昆虫の社会性、ヒトの社会性」では昆虫の集団行動と人間の集団行動とを比較している。ここで注目されるのはミツバチである。ミツバチは引っ越しする際に探索隊のようなものを結成し、引越し先の候補を見つけて仮宿に帰り八の字ダンスを使って状況が報告される。このダンスをみてミツバチたちは引越し先がどの程度よいのかを判断する。ここには集合知がある。しかし人間はミツバチのような集合知が生み出せないことが実験によって知られている。人間とミツバチの違いはなんだろうか。その違いはミツバチが社会を血縁関係で作り上げているのにたいして人間はそうではないという点にある。ミツバチのように全員が遺伝子を密接に共有している場合では血縁淘汰が働き自分が犠牲を払っても遺伝子を伝えることはよしとされる。他方で人間は非血縁者とも集団生活を行わなねばならず重要なのは自分という個体を生かすことにあるので集団全体の利益を生むはずの行動でも個人単位では行わないのである。

 ではそのような偏狭な心をもった人間がどのようにして他人とうまくやっていけるのだろうか。「第 3 章「利他性」を支える仕組み」でまず紹介されるのはチスイコウモリの互恵的利他主義である。チスイコウモリは仲間が十分な血を得られないときには分け与えるという習性がある。この習性のおもしろいところは仲間であれば誰でもよいというわけではなく以前ほかの個体に血を分け与えた個体は多くもらえたり以前自分がわけてもらえなかった個体には分け与えなかったりする。こうした持ちつ持たれつの関係は動物社会にも存在するのだ。では人間の場合はどうだろうか。互恵的利他主義は二者間ではよいが人間社会のように多くの人々を含む村全体ではうまくいかないことがポイントとなる。ここで導入されるのが「社会規範と罰」である。協力的ではないヒトだけに罰を与えて規範を守らせるという方法だ。たとえば「公共財ゲーム」という実験ではたとえ自分が利益を得るどころかコストを払っても罰を下す傾向が人間にあることがわかっている。また脳の活動をみても人間には不公平が許せないという感情が存在しそれを罰することで満足の感情さえうまれるのだという。その他にも人間は評判を気にする生き物であることが紹介される。

 感情の話と関連するならば共感の話も重要そうにおもえてくる。「第 4 章 「共感」する心」では共感は重要であるものの陥りがちな誤りも紹介される。共感とは思いやりを意味されることもあるが実際のところ共感は複雑なシステムで成り立っている。たとえばわれわれは相手と同じような動作をしてしまうという身体レベルでマネをする傾向がある。このようなマネは共感という仕組みにおいて重要である。つまり、相手の心を理解しようとする際に相手の身体をマネすることによって相手の意図や心情を推測しようとするメカニズムが備わっているのだという。こうした共感によって相手に寄り添いケアすることができるかもしれない。とはいえ共感もよいことばかりではない。援助が必要な人にたいしてあまりにも共感してしまうことはパニックになったり援助を必要としている人にたいしてよい結果を産まないことがある。ここで必要になるのは「クールな共感」であると本書は指摘する。クールな共感は相手の心理状態をきちんと理解しながらも自分は冷静なまま判断できるという利点がある。社会問題を扱う際にはこうした冷静な視点から物事が判断される必要がある。

 モラルの問題がもっとも重要になるのは資源を配分するときであろう。「第 5 章 「正義」と「モラル」と私たち」ではこうした分配の問題を扱う。「最後通告ゲーム」という資源を分配する実験では市場経済がどの程度社会に埋め込まれているかという文化の差によって分配する割合が変化するという結果が得られるのだという。こうした実験から分配する際の規範、つまりモラルが文化によって異なるという見方ができる。他方でわれわれの脳は格差を嫌う傾向がある。このように文化によって重視されるものは異なるもののわれわれの心は格差を嫌う公正さを求める傾向にある。たとえばロールズが『正義論』で述べたような「無知のヴェール」は社会の中でもっとも低い位置にある人々に関心を向けることを示唆しているが、本書では人間のそうした傾向が進化によって獲得されている可能性に目を向ける。そしてわれわれが今後正義の分配をよりよくやっていくための一つの方策としてグリーンの研究が紹介される。グリーンによれば普段は「部族」的な近距離しか考慮することのできない自動モードの道徳が働いているが今後グローバル社会や未来の社会のあり方について考えるときにはそうした自動モードを越えたメタモラルが必要となるという。メタモラルではわれわれの部族的な利害だけを重視しない理性的な計算が基盤となっている。このように人間の心の傾向を押さえつつも正義を論じることはできるかもしれないという方向性を本書は示唆している。

 本書は比較的短い本であるが上記を見てもわかるように幅広いトピックが含まれておりとても勉強になる。しかしながら頁数も短いこともあり各トピックの説明がコンパクトすぎる傾向があるのは否定できない。そのため読み終えたときには物足りなさを感じる。そして本書は進化心理学やゲーム理論、社会心理学におけるモラルへの知見を紹介しているが実験社会学という一つのプロジェクトである意義が見えてこなかった。このことは「モラル」と意味されていることが他人に優しくするから資源を配分するまでを一括に扱っていることも関係している。各分野で検討されている「モラル」を統一的に扱うための概念的作業が必要であると思われるのだ。とはいえ本書は比較的安価で短いため簡単に現在のモラル研究の知見を概観するためにはおすすめである。

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