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地続きの異国 - ヤンソン『ムーミン谷の冬』雑感 -

2021年11月08日

書評
ムーミン
トーベヤンソン
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 現在ほどインターネットもスマートフォンも普及していなかった頃、深夜のコンビニはやることが見つからないどうしようもない時間をつぶせる唯一の場であった。客も店員も少ない店内、がらんとした駐車場、無音のなかにときどき響くエンジン音。深夜のコンビニは行き慣れているけれどいつもと違う異空間だったのだ。

 今回紹介するヤンソン(山室静訳)『ムーミン谷の冬』(講談社文庫)(以下、『本書』と表記し引用する際には頁数のみを記す)はムーミン・トロールが冬のムーミン谷を体験する物語だ。話の出だしは次のようになっている。ムーミン一家は冬の間は冬眠することになっている。春を迎えるまで彼ら、彼女らは目を覚まさないはずだった。しかし、ムーミン・トロールは目を覚ましてしまい眠れなくなってしまう。

(これは死んでしまったんだ。ぼくがねむっているあいだに、なにもかも死んでしまったんだ。この世界は、きっと、ぼくの知らない、だれかほかのやつに、占領されちまったんだろう。)(19 頁)

(世界じゅうがねむっているんだ。おきて、ねむれないでいるのは、ぼくひとりらしいぞ。きっとぼくは、くる日もくる日も、今週もつぎの週も、さまよいにさまよって、自分でもこんな雪のかたまりになってしまうんだ―だれにも知られないで)(27 頁)

 初めての冬を体験するムーミンは孤独と疎外感を味わうことになる。見慣れた家やムーミン谷のはずなのにどこか違う。家族は眠ったまま目を覚まさず、友達のスナフキンは遠くに行っていたりとはじめて見る雪について語り合うこともできない。このあたりの冬の描写はとても見事だ。現実の冬がクリスマスや年末年始のイベントで騒いでいることを考えると静寂で寂しい冬はどこか遠いところのようにおもえる。とはいえ、ムーミンはけっして一人ではなかった。ムーミンはおしゃさまさんという不思議な人物に出会う。彼女はムーミンの水浴び小屋を勝手に居座るなどの自由な振る舞いをしたり物事についていつも独特の見方をしたりする。

ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね(31-32 頁)

 おしゃまさんが言うように雪で覆われたムーミン谷の冬はまっしろで無機質なだけではない。そこにはたくさんの曖昧さ、混沌が残っていた。おしゃまさんは次のようにもいう。

この世界には、夏や秋や春にはくらす場所をもたないものが、いろいろといるのよ。みんな、とっても内気で、すこしかわりものなの。ある種の夜のけものとか、ほかの人たちとはうまくつきあっていけない人とか、だれもそんなものがいるなんて、思いもしない生き物とかね。その人たちは、一年じゅう、どこかにこっそりとかくれているの。そうして、あたりがひっそりとして、なにもかもが雪にうずまり、夜が長くなって、たいていのものが冬のねむりにおちたときになると、やっとでてくるのよ(64 頁)

 彼女の言葉通りムーミンはたくさんの生き物と出会うことになる。自分にしか通じない言葉をしゃべるもの、はずかしがりやなので姿がみえないようになったねずみ、毛をもつムーミンの先祖たち。明るいところでは元気になれない生き物たちも冬の間には見たり出会えたりする。

 興味深いのはそういう世の中でうまくなじめない人たちが集まったからといって仲良く暮らせるわけではないことだ。たとえば、ヘムレンさんはスキーを教えたがっているが彼の元気な行動についていけななくなり「ムーミンやしきでは、元気のない、活発なことのきらいなものたちが、だんだんに、かたまって」(138 頁)いくことになる。ほかにも自分がおおかみであると信じている犬やみんなから好かれていないヘムレンさんのことが好きなサロメちゃんなど明るい世界ではなじめない、けれど愛すべきキャラクターがたくさん登場する。

 こうしたキャラクターたちの交流を経てムーミンはだんだん冬が好きになっていく。最初は怖くて仕方がなかった冬の寒さも厳しさも今ではたいしたことがないのだ。

スリルのあることって、それがもうこわくなくなって、ようやくたのしめるようになったころは、きっと、おしまいになっちゃうんだなあ。ほんとにつまんない(159 頁)

 慣れてしまったところで冬は終わる。春の訪れがムーミン谷にもやってくるのだ。「ぼくは、一年じゅうを知ってるんだ。冬だって知ってるんだもの。一年じゅうを生き抜いた、さいしょのムーミントロールなんだぞ、ぼくは(180 頁)」とムーミンが語るように彼はとても成長したのだった。

 本書はムーミンが冬を受け入れていくまでの物語といってよいであろう。そして「冬」という現実世界との地続きの、しかしどこか違ったものを受け入れることの困難さを描いている。みんなと仲良く慣れたわけではないし、みんな幸せになったわけでもない。だが、異質だった他者のどこか親しみの持てる側面が明らかになるにつれてムーミンの考え方も変わっていく。最初はムーミン谷から嫌われ者のヘムレンさんを追い払いたいがために嘘をついたムーミンがおそらく良心の呵責に耐えかねて嘘を撤回するといったシーンはムーミンの成長を感じさせるものだった。

彼は考えていたのです――春というものは、よそよそしい、いじのわるい世界から、自分をすくいだしてくれるものだと。ところが、いまそこにきているのは、彼が自分で手にいれて、自分のものにしたあたらしい経験の、ごく自然なつづきだったではありませんか。」183-184 頁)

 このようにして「春」を迎えるムーミンの気持ちはとてもよかったであろう。「春」と「冬」は同じところにある。それらが違うものだと考えていたの変わる前の昔の自分だったのだ。

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