今回紹介するのは森村進『幸福とは何か』(ちくまプリマー新書)である(以下、「本書」と表記し、引用する際には頁数のみ表記する)。「幸福」というとても大事ではあるが扱いにくい概念にたいして考えていくためのヒントが豊富に含まれている。まずは本書がどのような構成になっているかを見てみよう
序章では本書の目的、および方法論が述べられている。本書がいわゆる人生論のために幸福を論じるのではなく理論的に幸福とは何かを検討する「幸福の哲学」の入門書であることが説明される。著者も述べているように本書の狙いは幸福の哲学を通じて哲学的な議論を読者に体験してもらい、そして実際に議論してみようと思わせることである(23 頁)。ここで重要なことは著者が哲学における議論の方法をきちんと挙げていることである。それは次のようなものだ。
- 自分の考えをその論拠を含めてなるべく明確化する。
- それに対してなされている、あるいは可能な批判や疑問に応答する。
- 他の見解との異同を探り、得失を考え、できれば自説を修正する。(23 頁)
第一章では幸福とは何かについてもっともベーシックなものである「快楽説」が紹介される。すなわち人が幸福であるとはその人がどれだけの快楽を経験しているかで決まるのである(28 頁)。快楽説の魅力は主に次の三点であると著者は述べる(29−34 頁)。第一にその説得力である。病気や怪我が苦痛を与えるので悪く、美味しいものや願望が達成されたときの喜びはよいということを否定する人はなかなかいないであろう。第二にすくなくとも本人にとってはどの程度幸福かどうかは自明に判断できることだ。第三に人間の行動と真理を正しく説明しているようにおもわれることだ。というのも、われわれは現実に快楽を求め、苦痛を避けるように振る舞っているからだ。他方で快楽説への反論はもちろん存在する。反論の一つは快楽にも質の違いがあるようにおもわれることだ(34-37 頁)。たとえば幸福に寄与しないような低級な快楽というのもあるのではないか。もう一つの反論はロバート・ノージックが提案した「経験機械」という思考実験である(42-47 頁)。この機械によってあなたの脳は電極を取り付けられタンクに浮かんでいるが自分が望むどんな経験も得られる。われわれがこの機械に繋がれたくないと考える理由を快楽説は説明できるのだろうかと問うているわけだ。
第二章では欲求実現説が紹介される。この説によると「自分の欲求が実現されることが、本人にとっての善である(62 頁)」。欲求実現説の長所もいくつかあり上記で述べたような経験機械への反論を退けたり、人間の行動を快楽説よりも上手く説明できる(64-65 頁)。また欲求実現説には各人の幸福の内容が他人からみてもわかりやすいという長所がある。快楽説では各人が経験する幸福度は他人には直接わからないが、欲求実現説ではその人が何を欲しているかを知ることによって、その人にとっての幸福度の状態を検討することができる。このように魅力的にみえる欲求実現説ではあるがもちろん反論は存在する。たとえば、情報が誤っている場合、たとえば毒が入った食べ物をそうだとは知らずに食べたいという欲求を持つ人がいたときにこれが実現されることは幸福には資さない(71 頁)。またわれわれにとって無意味な欲求の実現(公園の広場の草を数えるといった)をどう評価すべきかといった問題も生じ、欲求実現説を採用するためには欲求そのものに様々な制限を設けないといけないという難点が浮かび上がる。
第三章では客観的リスト説が紹介される。この説はその名の通り幸福を構成する要素がリスト化されており、道徳的な善さ、理性的活動、友情、愛情、自尊心などが含まれている。客観的リスト説の利点は今まで検討されてきた快楽説や欲求実現説への反論を回避することができることだ(106-107 頁)。たとえば快楽説は質の低い欲求や快楽以外の幸福をどのようにカウントするのかという反論を受けたが客観的リスト説快楽以外のものに価値があると応答できる。また欲求実現説には無意味な欲求や反道徳的な欲求が実現されるという問題があったが客観的リスト説にはそのような項目は存在しないと反論することができる。もちろん、客観的リスト説にも難点が存在する。たとえば、あまりにも権威主義的であったり、エリート主義的であったりすることだ(109-114 頁)。その人が望みもしないのに押し付けられるものは幸福なのか。理性的活動といった知的能力に個人差があるものは一部の人間しか幸福になれないのではないか。これに関連する反論として「リストに挙げられるものの根拠は何なのか」、「そもそもなぜリストとして列挙されないといけないのか」が扱われている。
第四章では従来の三つの説では克服できない欠点があるのでいいとこ取りをする折衷説がとりあげられている。本書のなかでも極めて複雑な部分であるので読み進めるには根気がいる箇所であった。
第五章では視点を変えて幸福と時間の問題が論じられる。幸福度を決めるのは問題となっている本人の現在の状態だけであるのか、あるいはもっと長いスパンで幸福は論じられるのではないか。このように期間や時点のみで考えるのではなく人生を全体の形として論じるアプローチもある。たとえば人生はここの時点の幸福の総和が同じであるとしながら人生のあとになるほど幸福度が上昇する一生のほうが、幸福度が低下する一生よりも望ましいという考え方である(188 頁)。
本書の長所と短所
上記に書いてあることからもわかるように本書は「幸福の哲学」をテーマにしているが、幸福について考えてきた過去の哲学者のテクストを紹介したりするものではなく、われわれが実際に幸福について考えるためのアプローチを詳細に論じているところに長所がある。冒頭でも引用したように本書における哲学の方法とは自分の議論を明確にし、その根拠を提示することによって反論や批判を受け入れる形にし、必要があれば自説を修正していくというものだ。本書の進め方もまずは快楽説といった特定の立場の主張の議論の骨格とその根拠を吟味し、欠点があれば修正していくというもので論証を追っていくことによってわれわれが実際に考えるための訓練となっている。また、参考文献も充実しており気になった立場やもっと知りたいとおもった立場についてさらに勉強するときに有用である。
とはいえ、本書にも問題がある。全体の流れとしては快楽説、欲求実現説、客観的リスト説をそれぞれ検討するとなっているが、議論の構成上、たとえば快楽説の章なのにすでに他の説のアイデアや論証が紹介されることになっていたりと本の構成と議論の構成とが合致しない箇所がいくつかある。そのため前提知識がない初学者が読むときには注意が必要であると思われる。また、折衷説でわかるように幸福の哲学には様々な立場が存在し、それを一冊の本で論じるためにはもうすこし工夫が必要であるとも考えられる。
とはいえ、本書は日本語ではアクセスがしにくかった幸福の哲学について大まかな見通しを与えてくれるだろうし、読書会のテキストにして参加者で議論を追っていたり、反例をあげたりするにはとてもよいすぐれた入門書であることは間違いない。